ニート24h
第五話
暗喩、
pm8:00
リヴァイくんの拵えたのは、冷凍庫にいつから入っているのか分からない冷凍のうどんだった。
袋ラーメンを作るときに使っている、アルミの薄くてちゃちな『鍋焼きうどん』の鍋もどき。
そこに湯を沸かして、カチコチのうどんを恐る恐る入れて、乾燥ネギをぱらりと一撒き、醤油を一回し。
「できた、けど。」
食えるのか、とリヴァイ君は訊ねた。
「ありがと。」
食べるよ、と俺が言うと、リヴァイ君はホッとしたような顔をした。
リヴァイ君はハンカチを取り出して、鍋つかみの代わりに使って鍋もどきの取っ手っぽい辺りを掴んだ。
「あ。」
薄いアルミの立てるパキャという儚い音がして、鍋は床に落ちてしまった。
床は汁の水たまり、うどんはべチャリと広がった。
「悪い……っ」
リヴァイ君は咄嗟に、うどんに手を伸ばして、ばかなことに、素手で掴んで鍋に戻そうとした。
「ちょ……!」
俺もばかなことに、怠かった身体で瞬間跳ね起き、リヴァイ君の腕を掴んだ。
「水!」
流しに置いてある、水の張ったアルマイトの洗い桶にリヴァイ君の手ごと突っ込む。
バシャッと水が勢い良く跳ねる。
「うわッ!……ビビる、だろ。大丈夫だって。そんなにうどん、熱くなってなかった。」
「ああ、そう……」
水の中のリヴァイ君の指は、ほんの少し赤くなっている気がするな、という程度だった。
リヴァイ君のシャツの前は飛んだ水でビッショリで、俺もスウェットの袖口をかなり濡らしていた。
「脱いだら?」
「いや、でも」
「脱ぐのは恥ずかしい?寝てる俺のちんぽはしゃぶれても、目の前で脱ぐのは恥ずかしいの?」
何だそれ、と俺は苦笑した。
リヴァイ君は真赤な顔で、口をパクパクさせている。金魚みたいに。
「見られてるのと、そうじゃねえのは全然違うだろ。……まだ、怒ってんのかよ。」
「うん。怒ってる。」
「……ゴメン。わるかった。ヒキョウ、だった。」
リヴァイ君は俯いてしまった。
旋毛が見える。台所の電気は切れかかって、点滅している。
「そうだね。あれは」
あれは一方的だった。リヴァイ君が、誰かとエッチなことをしたいってだけで、それでたまたま手近にいた俺で試そうって、俺の身体や、ちんぽにしか興味が無いんだろうなあって、そういう疑惑をいっそう、濃いものにしてしまったので、リヴァイ君は。
けど、俺はそれを言うのを止めた。
その代わり、熱の上がった身体で、発熱を言い訳にして、俺はリヴァイ君の夏服のカッターシャツに手を掛けた。
立膝だと、床の杢目の粗がよく分かった。酷い安物だ。
「え、」
「俺の見てないとこでああいうことした、おしおき。」
立っているリヴァイ君の腰の辺りに手を回す。
ボタンとボタンのあいだに舌をねじ込む。
中学生のお腹は薄い塩味がする。
「あ、あ。や、」
「怖い?」
「……さいごまで、するのか?」
「まさか。しないよ。」
「じゃあ」
「リヴァイ君が先に俺のこと好きにしたんだから、お返し。」
今度は俺が好きにすんの、だから。
「ちょっと黙ってて。」
熱はぐんぐん上がっていく。額から耳にかけてが熱い。
汗なんだか、冷や汗なんだか分からない、冷たいものが首筋から背中を伝っていく。
とても不愉快な気持ち。
だけどリヴァイ君のしょっぱさや、ほんのりした甘みを感じて、俺はスイカ割りを思い出していた。
「割ったら赤い中身が飛び出すとこなんか、そっくりだと思うんだよなあ。」
つい漏れた独り言にリヴァイ君が突っ込むかと思ったけれど、杞憂だった。
リヴァイ君は陸で溺れる魚のようになっていたし、その肌がどんどん赤くなるので、やっぱり金魚かも、と俺は思った。
うどんは床に伸びたまま、俺たちとは逆に、どんどん冷えていった。
pm9:00
ぐったりしたリヴァイ君を抱き込んで壁に背を預ける。
リヴァイ君はもう抵抗する気力もないのか、されるままにしているようだった。
立てた膝のあいだにリヴァイ君はすっぽり、というかかなり余裕なくらいに納まっている。
左巻きの旋毛が目の前にある。
顔を近づけて、殆ど鼻が触れても、リヴァイ君は身じろぎしなかった。
ぼうっとした顔で、二十一時のニュースを見ている。
黒髪にキスするような姿勢で、俺はリヴァイ君のにおいを嗅いだ。
リヴァイ君は普段から全然体臭が無い。
中学生の男子なんて汗臭いか乳臭いかだろうと思っていたけれど、リヴァイ君はどちらなんだろう。
頭皮に唇をつけて、すうと息を吸い込む。
シャンプーの香りの奥に、リヴァイ君のものだろう匂いがした。
汗と、ほんの少し脂の混じった、人間の匂いだ。
何度かその匂いを肺に入れると、少し心強い気がした。
そもそも心細くなっていないはずだが、何故だかそう思った。
「リヴァイ君。」
「ん……?」
「眠い?俺うどん食べてい?」
「うん……」
うつらうつらしているリヴァイ君が脚のあいだから退かないので、このまま食べることにする。
アルミ鍋をずるずると引き寄せて、リヴァイ君の丸まっている背中に載せるようにして置く。
さすがに手を離したら落ちてしまいそうなので支えながら、俺は慎重に割り箸を口で割った。
「いただきます」
ずるずるとうどんを啜る。
真っ暗な中、テレビだけが光源だ。
人気女優の笑顔で照らされた手元に、ボンヤリうどんがある。
「ねえ、リヴァイ君。コレだし入れた?」
リヴァイ君は首を緩く振った。
うどんはパット見(暗くて見えないが)ふつうだったが、醤油だけで味付けされたうどんはとにかく味が無い。
一度床に落ちたうどんは冷えきっていたけれど、俺はそれをどうにか平らげた。
リヴァイ君はこっくりこっくりと船を漕いでいる。
溜息を吐く。
抱き上げると思ったより重くて、線の細いと思っていた肩や胸にもちゃんと骨があり、それらがリヴァイ君を守ってくれているという、あまりに当たり前過ぎることに気づく。
リヴァイ君は子どもだけれど、俺の思ってるよりずっと強かなのだ。
リヴァイ君がリヴァイ君の考える、ちゃちな快楽に溺れても、大丈夫。
俺が溺れさえしなければ、きっとこの子は戻れる。
心配は要らない。
そう思い込みたいのかも知れなかったけれど、俺はそれでちょっと安心して、今度こそ遠慮無くリヴァイくんの旋毛の匂いを嗅いだ。
「だから大丈夫、大丈夫……」
昔聞いた古い歌を口ずさんだ。
リヴァイ君はくうくうと寝息を立てていて、聞いちゃいない。
隣にゴロリと横になる。
34、35、と呼吸を数えているうちに、気づけば俺も夢の中だった。
伸びきったうどんが胃の中で膨張して、腹が破裂する夢だった。
リヴァイ君は雑巾片手にあちこちにハタキを掛けていて、
リヴァイ君は夢の中でもリヴァイ君のままなんだなあと笑った。
夢の中なんだか、外なんだか分からないままで。
pm10:00
寝ていた。
リヴァイ君が布団からはみ出しそうだったので、抱き寄せる。
そしてもう一度距離を取ると今度は俺がはみ出てしまって、まあいいかと絨毯の上に落ち着いた。
リヴァイ君はまだくうくう言っている。
おやすみ。リヴァイ君。へんな中学生。