密室
終電の時間が迫り、エルヴィン・スミスは足早にエレベーターに乗り込んだ。
「……おう」
「やあ」
別フロアにいたらしい部下のリヴァイ・アッカーマンがコンソール前におり、エルヴィンは軽く手を挙げてそう返すと、端にその身体を寄せた。
コンソールを見ると、すでに1階のボタンが押されている。
このままうまくいけば、終電には十分に間に合うだろう。
エルヴィンは詰めていた息を吐き出すと、何とはなしにリヴァイの後頭部に目をやった。
リヴァイはエルヴィンの直属の部下だった。
下請けのそのまた下請けから、エルヴィン自らスカウトし、手に入れたかけがえのない人材だ。
ただ、まだ打ち解けていない気がする、とエルヴィンは思っていた。
スカウトは騙し打ちのような形になり、リヴァイは付いては来てくれたものの、
エルヴィンを良くは思っていないようだ。
もともと良くはない口調には険が含まれているように感じたし、
どことなく距離がある。
今日は無理そうだが、近々飲みにでも誘ってみようかと思案していた、その時だった。
「… …あ?」
降下する時の僅かな浮遊感が無くなり、エレベーターは停止してしまった。
表示盤を見れば、4階となっている。
ここでリヴァイが降りるのかとも思ったが、彼の手には通勤鞄があったし、コートも着込んでいる。
おそらくこの後、終電前の駅に向かうのだろう。
「押し間違いか?」
「いや、……1階を押した」
リヴァイはコンソールの1階のボタンを何度か押したが、エレベーターはうんともすんとも言わない。
ボタンの点灯も消えている。
「故障か」
「そうらしい……クソ」
リヴァイは舌打ちした。
エルヴィンが近づくと、サッと身体を引き、コンソール前を空けた。
非常ボタンを押してみる。
『どうされましたか』と声がして、エルヴィンは4階で止まったこと、開くボタンもきかないいうことを伝えた。
「はい、はい……お願いします」
「……どうだ」
「他でも閉じ込めがあったそうだ。来るまで1時間はかかるらしい」
弱ったな、とエルヴィンは続けた。
「終電まであと15分だ」
それを聞いたリヴァイはもう一度、先程より大きな舌打ちをして、不機嫌をあらわにした。
「前の会社にはエレベーターが無かった」
「運動不足に良さそうだ」
とにかく、待つしかないな、とエルヴィンは言った。
壁にもたれかかったエルヴィンに対して、潔癖のリヴァイはそれをしない。
立ったまま、反応しないボタンを何度か押して、ドアに軽く蹴りを入れる。
「リヴァイ」
「……なんだ。」
「しりとりでもしようか」
リヴァイはそれをハと鼻で笑うと、トントンと足踏みを始めた。
その様子を見て、そんなに気が短かっただろうか、とエルヴィンは不思議に思った。
「何かこの後予定があったか?」
「終電で帰らせておいて何を言いやがる。何もねえよ」
「そうか」
残業が終電まで長引くのは珍しいことだった。
エルヴィンは、すまないな、と付け足して、何で暇を潰そうか思案し始めた。
仕事用のPCはオフィスに置いてきた。
それに何の資料も鞄に無いことので、仕事は出来ない。
リヴァイと打ち合わせることが少しあったのを思い出し、それを切り出すことにした。
「リヴァイ。そう言えば今度の商会との会議なんだが……」
鞄を探っていた手を止め、リヴァイを見遣る。
リヴァイは小柄だが、その割に足が長い。
その足先ではまだトントンと音を鳴らしている。
「やっぱり用事があったんだろう。」
「ねえよ」
リヴァイはそう返すと、動かない文字盤から外した目線を床に向け、
腕組みをして、やはりソワソワと肩を揺らしている。
「寒いのか?」
「……別に」
「このコートも着るか?俺は寒くないので遠慮しなくていい」
「要らねえよ」
「じゃあどうした」
エルヴィンがそう尋ねると、リヴァイの足踏みが大きくなった。
「……だ」
「え?」
「小便だって言ってんだよ、うるせえな!」
リヴァイは俯いていた顔を上げ、大声でそう返した。
突然の大声に面食らったエルヴィンは一瞬固まったが、
リヴァイの耳が赤くなっているのにすぐ気がついた。
「小便か」
「繰り返すな!」
大体てめえは前々から思ってたがデリカシーが足らねえところがあるんじゃねえのか、とリヴァイは一息に言い終えるとくるりと踵を返した。
ドアとドアの僅かな隙間へ指を掛ける。
「リヴァイ、まさかとは思うが」
「開ける。一時間も待っていられるか」
「お前そんなに」
尿意が、と言いかけたエルヴィンだったが、最後まで言い切ることは流石にしなかった。
「うるせえ、大体俺はお前なんかとこんなところに……?」
リヴァイの手が止まる。
無理矢理にこじ開けようとした隙間だったが、どうやらどこかの階には繋がっていなかったらしい。
おそらく階と階の間で停止してしまったのだろう、壁だけが垣間見える。
「……ちくしょう!」
苛立ったリヴァイがコンソールを横殴りに叩きつけるも、エレベーターはうんともすんとも言わなかった。
エルヴィンは両手を挙げると、諦めてしゃがみ込んだ。
「まあ、待とう。幸い連絡はもう着いたんだ、後は待つしかない」
「クソ……」
リヴァイもしゃがんだものの、やはり潔癖のために床に座れずにいるようだった。
それに気がついていたエルヴィンは懐に手を入れると、ハンカチを取り出した。
「リヴァイ」
「あ?」
「これに座れ」
エルヴィンは折り畳まれたハンカチをリヴァイに向け放り投げた。
途中で開くこともなく、リヴァイは無事それを捕まえることが出来た。
「安物だ。遠慮なく座るといい」
嘘だ、とリヴァイは思った。
付き合いこそまだ短いものの、エルヴィンの性格や仕事への真摯な姿勢はよく分かっている。
役職に見合う、それなりのものを使っているはずだ。
「おい」
「わざわざ洗って返してくれなくていいぞ。使い捨てろ」
リヴァイはまた舌打ちすると、鞄を漁って要らなそうな書類を何枚かばら撒いた。
ハンカチをエルヴィンに投げ返す。
「勘違いするな。てめえに借りを作りたくねえだけだ」
「可愛くないな」
うるせえ、と返してリヴァイは書類の上にどっかと座った。
エレベーター内の二人の距離、およそ1.5メートル。
心の距離はなかなか、近づきそうで近づかなかった。