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泡になった

真夏のある日、私と彼は旅行へ出掛けた。
多忙な毎日を縫うようにして休みを掻き集め、
それは二週間ほどのバカンスになった。

寂れた、かつてのリゾート地は時期だと言うのに人も疎らで、この方が気が楽だろうと私が言うと、彼は同意した。

それでも景色はうつくしかった。
コバルトブルーの空の色、セルリアンブルーの海の色が目にも鮮やかだ。
町で買い付けた水着に着替え、私たちは海に入った。
浅いうちは生温いものが、だんだんと冷たくなる。
それでも真夏の太陽には負けてしまう。ぎらぎらとした日光を背中に受けながら、私たちは泳いだ。
とりあえず波の向こう、遊泳禁止のポールを目指した。
揺らぐ水の中、視界の端にちらちらと彼が映る。
陸や空中と同じに、彼は速かった。まるで小型の鮫のような速さに、私は面白くなって、水を飲み込んでしまった。咳き込んで立ち上がる。
「オイ。」
ポールに辿り着く前に止まってしまった私に、彼は不満げな顔をして水面に顔を出した。
「勝負はまだ終わってねえ」
「負けたよ、負けた」
お前に勝てる気がしないよ、と私は言って、寄って行ってキスをした。
塩の味がするキスだった。

「よし、浜までだ!」
「狡いぞ!」
大きな声で騒いで、私たちはまた泳いだ。
泳いで、泳ぎ疲れて、屈託無く眠れるまで……。
砂浜に転がった私を抱き締めた彼は私の胸に乗り上がり、砂の混じったキスをした。
浜辺には人が居なかったから、何度も繰り返しキスをした。

「ああ……ここで死のうか?」

彼は何も答えなかった。
ただ薄く笑んで、キスを返しただけだった。


一頻りはしゃぎ切ると、どっと眠気が襲ってきた。
私たちはコテージへ戻り、緩く穏やかなセックスをすると、それでもう子どものように眠ってしまった。
どこまでがセックスで、どこからが戯れか、そしていつ眠ってしまったかも、分からない緩やかな営みだった。
いつからか、いや、ここへ来てからだろうか?私たちのセックスがそうなったのは。
思い出せなかった。

私たちは出遭ったときに互いを思い出した。それから一年、記憶は薄くなっていっている。書き付けても書き付けても、それはまるで他人事のようで、自分の記憶とはかけ離れたものになった。
この愛情すら、薄っぺらなものになってしまうのだと私たちは一時期酷く怯えた。
その恐しさすら旅立って行ってしまったのか、私たちはもうなにも怖くなく、ただ二人で過ごすために、海へやってきたのだ。

しんとした愛しさ。
ただ肌には日に焼けた熱さと、海の気配が残っていて、それを繰り返し愛しんだ。

夢うつつに、彼が「もう起きたくねえな」と呟いた。

「幸せ過ぎて夢みたいだからか?」私は笑いながら囁いた。

そうかもな、もう起きなくても困らねえな、と彼はまた呟くと、そのまま静かな寝息を立ててまた眠ってしまった。

じゃあやっぱり死のうか、と私はポツリと呟いたけれど、眠る彼にはもう届いていなかった。

彼の額にキスした。
もう、彼の名前を思い出せない。
私たちは手を繋いだ。
朝になっても、二人がはぐれないように。

外で波が揺れている。
寄せては返して、すべては泡になった。

氷
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