泪の日
(おまえのなみだがつきぬなら。)
「おはようエルヴィン。リヴァイ見てない?渡したい書類が幾つかあるんだけど。あとこれ、貴方の判子ちょうだい」
ハンジがノックもそこそこに団長の執務室に現れたのは、午睡の恋しい昼食後の事だった。
「ああハンジ、何徹目なんだ?もうコンニチハの時刻だ。」
机で書き物をしていたエルヴィンが顔を上げる。
そう言う自身も徹夜組だ。目元には疲れが滲んでいる。
「ふふん、それがね。他の分隊長たちに書類を回す間、三十分仮眠が取れたのさ!だからおはようで正解って訳。」
「それは羨ましくも結構だが、君は目の前の人物が一応は上官である事を思い出した方が良いな。職務時間中だぞ。いやしかし、羨ましいが」
執務室のソファにハンジが座り込む。
エルヴィンがハンジからの書類を確認し検印するまでの間、少し休憩して行こうという腹だろう。
「貴方も会議の一つや二つブッチしてこればいいんだよ。まあ、やれたらやってるだろうけど」
「違いない。役職がついて有難いことばかりではないな。一所懸命に働いても、頂けるのはお偉方の罵声と目の下の隈と部下の悲鳴だ。」
壁外調査の二週間前、事務作業の繁忙期はピークを迎える。
団長職に就いてからの煩雑さと言ったら人を殺せるくらいだ。誰をかといえば、エルヴィン自身をなのだが。
事実、いつから寝ていないのか把握できなくなるくらいまで夜通して書類に向かっていた時には、一瞬意識が飛んだと思った瞬間に床に伸びており、倒れた際に頭をぶつけて額が割れ割と派手に出血をしていた事があった。
まさに忙殺された現場を発見した、不運なハンジ班の二ファには悲鳴を上げられてしまい、多くの野次馬がやって来る始末。
その時はリヴァイとミケが演習から戻ってきたところで、抱えられて怒鳴られながら医務室へ運ばれた散々なエルヴィンだった。
「全体演習前には丸一日寝ないと馬に跨ってられないね。手綱を握る握力さえ湧いてこない。もうペンを握りたくないと腕も言ってるよ」
インクで汚れた手をぷらぷらと振ってみせる。
普段のブレードタコよりも今はペンだこの方が酷そうだ。
「あ、そうリヴァイは?忘れてた」
「休暇だ。」
目の疲れで痛むこめかみを揉む。
どうやら自分の手もインクに汚れたままだったらしい、やってしまってから気づき溜息を吐く。
「なあハンジ、私のこめかみはどうなってる?」
「こめかみ?いつも通り怖くて面白い顔だけど。ああ、汚れてるよ。青筋が入ったみたいになってる!」
「そうか…」
ハンカチで適当に擦る。このハンカチはいつ換えたものだったろうか。
一昨日リヴァイに一枚貸した覚えがある。よし、まだぎりぎり新しいとホッとした。
「リヴァイの休暇ってあれか、生理休暇。いつも大変だねえ!」
「こら、そういう言い方は。…まあ生理休暇と言えばそうなのか?生理現象ではある。」
ハンカチを畳み、またポケットにしまう。
ハンジという人物はとてもざっくばらんで、そこが良いところであるとも思うが、女性としてはさて如何なものかと団員たちは思っている。
エルヴィンは、彼女が魅力的かどうかはまた別の問題と思っているし、知っていた。
「私なんかは軽いからさ、3日で終わるけど。彼はまあ一日で済むのはいいけど、あれはあれでしんどそうだよね」
「いや、私は女性のそれは分かりかねるが…。あれのは特殊だからなあ…」
ペンを放り出し、椅子がしなる程伸びをする。背筋が伸びて悪い血液が逃げていく感覚がある。
ハンジがいかにもしみじみと行った様子で嘆息する。
「聞いたことないよね。泣き続ける日が月一であるなんてさ。」
リヴァイには月に一度、彼の感情と関係無しに涙が出続けてしまう日が一日ある。
好奇心探究心の異常に旺盛な同僚であるところのハンジの執拗な調査によれば、だいたいひと月からふた月に行かないくらいまでの期間に一日ある。
身体的な異常は特に認められなかった。
遺伝するものなのかは親族が彼の周りに居ないので確かめられない。
兎に角、体質であろうということだった。
生理の日だとか泪の日だとかの言い方をするとリヴァイは気分を損なうようだ。
彼曰く水っぽい日、とのこと。
水っぽい日は、休暇を取って自室に籠ってしまう。
同僚や部下に泣き顔を見られたくないらしい。
花粉症のようなものだと誤魔化せば良いとハンジは提案したが、ミケとナナバは無理があると突っ込んだ。
朝方から零れ始めた涙はとどまる事を知らず、ただぽろぽろと流れ続ける。
発作には、それこそ花粉症程度であったりしゃくり上げるほどであったり強く嗚咽するほどだったりと一日の中でも波があるようだ。
水分を取らなければ涙も枯れるのではと試したこともあったが、結果は脱水症状を起こしかけこれまたハンジが怒られた。
とにかく一日中水を飲んで、涙を流し続ける。それしかないようだった。
食事は扉の前に置かれる。置いて暫くすると白い手が伸びて部屋にそれを引き込む。また暫くすると、空の食器が出てくるので食事係はそれを回収するのだ。
水差しもあっという間に空になるので、朝昼夕晩と差し入れる。
どうにかやっつけ仕事で書類を片付け終業したエルヴィンは、シャワーを浴びた後水差しを持ってリヴァイの自室を訪ねた。
手にはハンジから預かった書類もある。
「リヴァイ、私だ。水を持って来た」
戸を叩くと、ああと掠れた声がして、ややあって白い手が出てくる。
「・・・水」
「渡す物もある。入れてくれ。」
「・・・」
手は引っ込んでいく。
リヴァイは答えるのも疲れるのか、無言の許可を得て、エルヴィンは入室した。
扉の鍵を掛ける。
この日にリヴァイの部屋を訪れるのは毎度の事なのに、何だかんだ理由をつけなければいけないのだ。
何となく腑に落ちない。
彼が、エルヴィンの自室に来るのに理由は持ってこないのに。
寝台にふらふらと座り込んでリヴァイは泣く。
声は無い。
ただ只管に涙がこぼれ落ちるのみだ。
ランプに火も入れぬまま、部屋は窓からの月明かりだけで仄明るい。
今日は満月のようだった。肥った月が驚く程に光っている。
やはり月の満ち欠けも関係が無いと言い切れないかもな、とエルヴィンは明日にでもハンジに報告してやろうと思う。
白く冴えた月光に照らされた横顔は、どうやら赤くなっている。
いつもの青白い顔色は何処へやら、泣き疲れて腫れた目元はふっくらとして隈もない。普段よりも健康的に見えるくらいだ。
「熱はどうだ。少しあるか?」
額に手を当てて熱を測る。この日は大概一緒に微熱が出るのだ。
「だいぶ下がった・・・水枕が欲しい。換えてくれ・・・」
泣き疲れて掠れた声をとても性的に思う。
顔の腫れがあるかと添えた掌に、リヴァイがすり、と頬擦りをする。
無意識にだろうが、滅多に無い事なのでエルヴィンとしてはかなり驚く。
弱っているところを可愛く思うことに、ひそりとした罪悪感が胸を刺す。
「分かった。あと、塵紙も持ってきた。鼻が痛いと言っていたから、柔らかいのを見つけて買って来たよ。」
「朝から寄越せ、馬鹿。」
もう赤くなってる、とこちらを上目遣いに見上げる彼の顔にははっきりと甘えがある。
水っぽい日にはどうやら彼自身も弱気になるのか、エルヴィンに甘えてくる。
普段は自分をしっかりと持った成人男性であるところの彼が、あれが欲しいだのこれが足らないだの我儘を言う。
それが嬉しくて、いそいそとやって来ては何か焼く世話は無いかと探してしまうのだ。
リヴァイは寝台に横になっている。
涙は重力に引かれて、真横に落ちてシーツに新しい染みを作っていく。
水枕を換えてやり、絞った布を目の端に当ててやった。
「つめたい・・・」
「嫌か?」
「いや、じゃねえ。そのまま・・・」
舌足らずな様子が愛らしい。たどたどしく口を動かす様子に思わずこちらの口が緩んでしまう。
「分かった。他には?」なにか、あるか?と耳元で訊けば、うん、と素直に目を閉じる。睫毛が濡れているのが、至近距離だとよく見えた。
「みず、飲みたい。」
唇が乾いている。潤してやりたいが、伏していては水が飲めないだろう。
「起きられるか?」
「起きたくない・・・」
ぐずぐずと寝起きの子どものように駄々を捏ねるリヴァイが可愛らしくてしようが無い。
年はそこまで離れていないはずのこの部下は、こんなときそんなふうにたまらなく困らせてくれるのだ。
「リヴァイ。」
コップに水を注ぎ、煽る。
「ん。」
素直に開いた小さな口へ水を移す。
こくこくと喉が水を嚥下する音が唇伝いに聞こえる。
また含み、また与えることを繰り返す。
「もっと。」
唇の端から水が伝っている。目はもうずっととろんと蕩けていて夢現つだ。
小さな唇とを往復していると、暫くすれば水差しは空になってしまった。
「もう無いよ。」
「もっと、だ」
赤い舌がちろりと覗く、いやらしい口を吸ってやる。
冷たい井戸水を注ぎ込んだのにそこは既に熱くなっていて、エルヴィンの体温まで高めようと煽る。
舌が絡んでは音と感触で頭が侵されたようになってしまう。
しっとりと汗を含んだ体を撫で回せば、は、は、と犬のような吐息で喘ぐ。
「もっと。」
気付けばリヴァイは下半身に何も身につけていない。
猫のような身のこなしで、いつの間にか脱いでしまっている。
「なぁ、エル…」
ぐっと押し付けられた下半身は既に硬く、これも熱を持っている。
暫く無言で擦り付け合って、我慢ならなくなったのかリヴァイが脚を開き太股でエルヴィンの腰を拘束した。
「もういい、もう挿れろ」
「もう?大丈夫か?」
「もう、入るから。」
入口に手を遣るとぬるりとした感触。
そこは十分に解れ、オイルで濡れそぼっている。
一人でしていたのか、或いは準備をしてくれていたのか、問おうと思ったがエルヴィンはそれを辞めた。
こんなにも健気で素直なリヴァイの機嫌を損ねるのはとても勿体無い。
持って来ていたゴムを手早く装着し、限界まで昂ぶるものをそこへ当てる。
ぬるぬるとしていて、入口が誘い込むような動きがある。
吸われる感覚があって、とても我慢して居られなくなる。
「リヴァイ」
「んん…」
リヴァイの涙は止まらないままだ。
抱いて欲しくて堪らなくて泣いているようにも、無体を働かれてじっと堪えているようにも見える。
どちらにせよたまらなかった。
「ああぁっ、…!」
白魚のような太股を掴んで、揺すり上げる。
随分奥まで弄ってあったものか、柔らかくなっていて一気に根元近くまで入ってしまう。
ぐ、と強く腰を押し付けると遂に根元まで含まれて、ぎゅうと締められる。
これだけで達せそうな程に気持ちが良い。
「あ、ああ、エルヴィン、」
「気持ち良いな、お前の中は。」
率直にそう告げると、赤い瞼が重たげに持ち上げられ、どこか不満そうな瞳にぶつかる。
「とても良いよ。」
上げられた脚の、膝に唇を落とす。
あそこはきゅうきゅうと、中のものを思うさま動かして欲しそうに締めて来ている。
「しゃべるな、ああ。なぁ、もっと…」
「もっと?」
シャツを纏った上半身にべたりと付くほどに脚を曲げ、キスをする。
「ん、っん、う、うう、ううッ!」
唇を啄むようなものから、口内を混ぜるようなものへ変わっていく間、お望み通りに激しく腰を突き立ててやる。
古い寝台がテンポ良く軋んで、酷くセックスをしているという気分になる。
唇は合わせたまま、彼の好きな辺りを擦る。
「ッんー!」
悦ぶリヴァイはもう、ぐちゃぐちゃに泣いていた。
しとしとと伝うだけだった涙は洪水のように溢れて顔中を濡らしている。
「っ、かはッ、あぁ、あ、エルヴィン…ッ」
唇が解放され、大きく息を吸って喘ぐ。
嬌声なのか嗚咽なのか分からない声で、鳴き続けながら彼も腰を揺らして快楽を貪欲に拾おうとする。
肩口を噛めば、背中がしなってリヴァイの手がエルヴィンの髪を掻き混ぜる。
「あっ、あ、やだ、こっち、集中しろよ、エル、なぁっ」
滅茶苦茶にされて散らばる前髪の間から見た彼の泣き顔は酷く乱れて淫蕩に過ぎた。
「あアッ!」
「ふ、」
リヴァイの身体が寝台の端までずれる程に強く穿つと、終わるための前後運動を開始した。
「あッ、エル、エルヴィンッ、いい、イイッ、して、もっと、もっと…ッ」
抱え上げた脚を握り潰すかと言うほど掴んで揺すぶる。
揺れるごと食い締めてくるリヴァイの中はいよいよ狭い。
エルヴィンの頸筋に爪を立てて、リヴァイは自らの頭を振り立てる。
殺されようとしているように、嗚咽は酷く大きくなっていく。
最早子どもが泣き喚いているようだ。
「リヴァイ、ッもう、」
「エルヴィン、あッ、いく、でる、あアッ、エルヴィンッ…!」
込み上げる吐精感に、思わず暴れるリヴァイの身体を抱きしめると強くぎゅうと締められ、リヴァイが達したのを感じると殆ど同時に、射精が始まった。
引き付けを起こしたかのような彼の動きに搾り取られるように中に吐き出し終えると、融かされた蝋燭のようなリヴァイの瞳とかち合った。
「…っおい、なんか言いたいことでも、あんのか。えろいツラ、しやがって」
「いや、エロいツラはお前だが…凄まじい顔だぞ。」
硬さを失ったペニスを抜くと、うえ、とえずく声が上がって彼の身体から力が抜けた。
リヴァイが纏っていた甘い空気はいつの間にか消えている。
「だれの、なにが凄まじいって?」
「お前の顔だ。一日中ヤリ殺されてたような顔してるぞ」
「あぁ、そうかよ…。テメエのイチモツが凄まじいって御自慢かと」
塵紙を取ってやると緩慢に股を拭っている。
本当は甘やかな雰囲気のままエルヴィンの手ずから身体を清めたりもしてやりたいが、通常運転に戻りつつあるリヴァイにそれは出来そうにない。
強請るようにしてくるのはこの日だけ。
素直に欲しがるのも、達する時に名前を呼ぶのも泪の日だけだ。
エルヴィンにはそれがとても嬉しくて擽ったく、また淋しくも思われた。
胸を羽毛で撫で回されているかのような心地と、心臓を直にきゅうと絞られるような心地とが一度にして、何だか妙な気持ちになるのだ。
愛だとか恋だとかそういう言葉を二人の間で口にした事は無いし、多分これからも無いだろう。
だが、これがそういう感情ではないと今のところ言い切れないでいる。
そういう気持ちに、この日はなる。
(可愛いお前。お前の涙が尽きぬなら、一緒に溺れてやってもいいと思うくらいには。)
「すっきりしたか」
「団長様々の御蔭でな。」
まだしとしとと垂れる涙を掌で拭いながら、リヴァイは不貞腐れたように横を向いた。
その頸と枕との間に無理矢理腕を捻じ込んで抱き締める。
「…邪魔臭えな。枕にゃ高いし」
「だろうな。たまのことだ、今日くらい我慢してくれ。」
囁いて小さな後ろ頭を撫でる。
撫で続けていくうちに、だんだんと強張りが解れ、体重を預けてきた。
いとおしい重みに思わず口元が綻ぶ。
エルヴィンの二の腕の内側がひたひたと生温かい水で濡れていく。
「この水っぽい日にお前が死んだら、お前の為に泣いてるみたいで嫌だな。」
「そうか?」
「そうだ。だから、この日には、死ぬなよ・・・」
リヴァイの語尾が小さくなって終わる。
どうやら眠たくなって来ているらしい。
滂沱の涙を流し続けて、熱っぽい身体は猫のように温かい。
「では是非この日に死にたいものだ。お前の雨で眠りたいよ、リヴァイ。」
ふ、と笑って旋毛に唇を落とせば腕の中の熱が少し上がったような気がした。
耳の端が薄暗い中で朱色に発光して見える。
暫くして寝台が揺れ、リヴァイが寝返りを打った。
エルヴィンの胸の内に、すっぽりと泪の猫が入り込んでいる。涙はぽろりとエルヴィンの胸にこぼれ、染み入った。
「絶対死なせねえし、出来たら今死ね気障野郎。」