深夜、SAで
エルヴィン・スミスは突然にすべてが億劫になり、車を走らせようと思い立った。
車に拘りは無いが、経営者を持ち物で判断するくだらない輩は多く居るので、エルヴィン・スミスはエルヴィン・スミスの手掛ける仕事の大きさに見合った、それなりのグレードの車に乗っている。
スポーツタイプを選んだのは良い判断だったようだ、とエルヴィンは深夜の高速道路に車を走らせながらそう思った。
深夜のSAには意外にも人の気配が多い。
飲物を買おうと外に出ると、むわっとした湿気を感じた。
エルヴィンは長袖のシャツを着て来たことを後悔した。
冷房の効いた建物の中にいることが多いために、エルヴィンは夏のあいだでも長袖を着るようにしている。
袖のボタンを外し、折り曲げる。
だが効果は薄く、エルヴィンの額を大粒の汗が垂れていった。
霧吹きで吹いたような酷い湿り気だとエルヴィンは思った。
自販機でアイスコーヒーを購入して、SAをあてもなくぶらつく。
飲物やホットスナックの自販機の並びから一番遠いベンチに座る人影がふと目についた。
一見するとレンタカーで遠出を楽しむ学生のような若さだが、周囲に馴染む佇まいから、職業人だと分かる。
黒いタンクトップからは肩が出ており、夏だというのに青白い。
下は作業ズボン。夜間の長距離トラック乗りだろうと見当をつける。
「暑いですね。」
斜め後ろから声を掛けると、その男は目線だけでエルヴィンを見とめた。
「……ああ、暑いな。」
男はそれだけ言うと、手に持っていたコーヒーに、妙な持ち方で口をつけた。
「熱いから?」
「あ?」
「その持ち方。それ、ホットだろう。」
エルヴィンがそう言うと、男はチッと舌打ちした。
「……押し間違えたんだ。」
「はは。……いや、失敬。何もこんな熱帯夜に、と思ってね。」
エルヴィンはサプリメントなどを飲む用に余分に買っていた水のペットボトルを男に差し出した。
「私も押し間違えたんだ。良かったら貰ってやってくれ。」
要らないお世話だと言われるかとも思ったが、男は意外にも素直にコクと首を縦に振った。
「……どうも。」
「どう致しまして。」
「アンタ、妙なヤツだな。俺はてっきり、王子様が降りて来たと思ったぜ。……いや、年はわりといってるな。王様か」
「君は?」
「は?」
「幾つ?まさか学生上がりってことはないだろう。」
「三十二だ。結構いってて悪かったな。高校中退してトラック回してるからもうそろそろ十五年になるか」
「やっぱり見た目よりいってるな。ベテランか。どおりでSAに馴染んでると」
「何だSAに馴染んでるってのは…………イヤ、浮いてるアンタがいるんだ、馴染んでるヤツもそりゃあ居るか」
「腰掛けても?」
「俺ん家ってワケじゃねぇんだ、勝手に座れよ。」
「ありがとう。なあ、ホットスナックは?よく食べる?それともコンビニのものを?」
「は?」
「君たちの食事が知りたいんだ。ああ、あと、深夜に走って、家に着くのは何時?」
「あったかいモンが食いたいから、俺 はなるべくデカいSAに寄るようにしてる。食堂がやってるところだ。だいたい、うどんを選んでる」
「それはどうして?」
「どうしてって……そこそこ腹に溜まるし、七味を掛けるのが好きだから……か?」
「七味を?辛党なのかい?」
「まあ……そうだな。帰りは昼前だ。風呂に入ったら速攻布団で……ああ、何か調子が狂うな、アンタ。冴えねえトラックの運ちゃんの何を知りたがる?」
こんなに人と会話したのは久しぶりだ、と男は言った。
「吸ってもいいか?車では吸わねえようにしてるんだ」
「ああ、どうぞ。」
男が、トラックの大きなハンドルを握っているとは思えないような華奢な指で、手早く箱から煙草を取り出し、百円ライターで火をつけるのを、エルヴィンは見ていた。
薄い唇から、フウと息が漏れる。
こめかみから肩へ汗が垂れていくのを、ジッとエルヴィンは見詰めていた。
「……男や何やを買う手合いじゃねえだろうな。まさかとは思うが」
変態っていうモンは意外に礼儀正しいモンだからな、と男は言うと、また煙草を咥えた。
「まさか。そう見えるかい?深夜のSAで、トラックの運転手を買い付けている男って?」
「見た目によらねえこともあるだろ。それにアンタは金持ちそうだ。」
「それがそうでもないんだよ。……もう少し話を聞いてくれるか?」
「ああ、ミネラルウォーターの分まではお付き合いしてやるよ。」
男が立ち上がる。肩の汗がコンクリートへ散った。それだけで湿気が上がったような気がした。
息苦しさにエルヴィンは、首元のボタンを千切って投げ捨てた。
「俺のトラックに来い。クーラーを掛けてやる。こんな熱帯夜じゃ、話してるあいだに溶けて水になっちまうからな。」
「ありがとう。私はエルヴィン・スミス。」
君は?と尋ねたエルヴィンに苦笑して、男は、自己紹介も車内でな、と言って、初めて微笑した。