蝶と蛾
――飛び去る蝶は少女、蛾の腹は男。
その少女は死病に冒されておりました。
治ることのない病です。
近年の医学の進歩たるや著しく、駆逐出来ない病などないと人類は思い込み自惚れる人も多くありますが、そうでもないのです。
手を尽くしても、如何にもならぬ事というのはこの世に未だ腐るほどにあるのです。
それは本当に仕方の無いことです。
ですが、嗚呼。
このような無垢の少女、無知無罪の、咎の一片も、染み一つも見つからないようなこの処女が、何の生の愉しみや知らず死んでゆくのは余りにも悲しいことです。
彼女は野に摘んだアケビの味さえ知らぬまま、狭く冷たい病室で朽ち果てるのです。
私は医師でした。
無力な、年若い医師です。
患者たちは皆親しみと気安さから、エルヴィン先生、と私を呼びます。
それは威厳の無いことだと眉を顰める四角四面の体面ばかりを気にする同僚もありましたが、私は彼らにそう呼ばわれることに、何も感じていないのでした。
タッタひとり、彼女以外には、私の心は快不快などに揺るがないのです。
彼女の病室は、医院の一階の廊下の果てにありました。
薄暗く、しかし乾燥した空気には消毒の匂いがいつでも興醒めに漂っています。
恋人に会いに行くには些か無粋なものでありました。
白藍の爽やかな色の戸を、コツコツ・コツ、とおかしな拍子に叩きますと、はい、と明るい声がします。
その小さな部屋へ入るとすぐに、寝台の上の少女の控えめな微笑とかち合いました。
「やあ、遅くなったね」
「せんせい。」
それは正に、少女と謂うべき生き物でした。
皮膚は仄青くごく薄く、皮下の血管が透かされているよう。
灰青の瞳に、目頭はすっと切れていて、しかしそこに血の気はなく、赤味はありません。
目の下の陰は長い下睫毛が齎すものだけでなく、やはりこれも血色の悪さからでした。
からすの濡れ羽色の髪は清潔そうにすっきりと短く切られています。
胸の厚みは殆ど無く、痩せていて、華奢な骨が浮きあがり痛々しげです。
さながら、球体関節人形のようでした。
母の生家にありました、bisque dollを思い起こさせる容貌を、彼女はしていたのです。
この不幸なbisque doll、いいえ生き急ぐほどに生きているこの十四歳の少女は、リヴァイという名でした。
「急患が入ったんだ、少し慌しくてね。でもそれもすっかり良くなったから、やっとここへ来れたよ。リヴァイ、今朝と変わりはないかい?」
寝台の横の腰掛けへ座り、彼女の前髪を梳きました。
みるみるうちに頬が人の肌色を取り戻しましたので、私は安堵致しました。
これは彼女なりの紅潮なのです。
「今日はわりと、大丈夫だった。なあ、先生は?」
「患者が医者に調子を訊くとは面白いね。」
「先生は、俺の先生だけど、…」
意地悪するように言いますと、そのように呟き、拗ねたように目線を外してしまいます。
「すまない、じゃあもう先生はやめようか、リヴァイ?」
頭を垂れた可愛らしい様子に、私は意地悪するのを早々に諦めて白衣を脱ぎ、寝台へ適当に放りました。
「おいで、リヴァイ。」
腕を拡げると、おずおずとその手を伸ばし、軽い身体を預けてきます。
胸に寄りかかる形になった彼女の頭を撫でると、ホッとしたように息を吐き出しました。
「いい子だ。」
目を合わせ、また前髪を梳きますと、リヴァイがまた微笑しました。
「にいさま。」
蕩け切った声で呟くのです。
未だ顔色は青白く、表情は柔軟なものではありませんでしたが、こちらが恥ずかしくなるほどに、見遣る者を恋い慕う顔をしていました。
リヴァイと出会ったのは彼女が十一歳の頃、花散る季節でした。
彼女の家族は父親一人きりで、病弱な母親は彼女を産んで暫くすると亡くなってしまったそうです。
父親は紳士とは言い難い風貌ではありましたが真心のある男で、彼方此方と評判の良い医院を探して歩いていたという事でした。
「身体の弱いからと、思いも切れなくてよ。出来るだけ長く、せめて花の盛りの間だけでも。」
そのように彼女の父は鼻を啜り、私の手を堅く握りました。
連れて来られた彼女は小さく、まるで幼女かの体躯でした。
しかしあどけない歳であるにも関わらず、百合のような少年めいた凛凛しい立ち姿で、気高さと呼ばわった方がいいほどの気丈さが見て取れました。
暫くの間治療へ従事しておりますと、私は彼女の専属世話係、召使いさんと院内で揶揄されるほどに、端から見ても親しくなってゆきました。
慰みにと気に入った本を何冊か貸すと彼女はあっという間に読んでしまい、気の利いた感想を回診の時に返すのです。
彼女は籠の中の虜ではありましたが、けして愚鈍ではありませんでした。
頭の回転の速く、年の割に舌鋒の鋭い小さな論客だったのです。
私はそんな彼女へものを教えるのに夢中になってゆきました。
医院の終業後も彼女の病室へ足を運び、物語や学問書を貸し、彼女の書き付けた感想や書評を繰り返しやり取りしました。
私と彼女とはすっかり、年の離れた兄と妹のように寄り添い、いたわりあうようになっていったのです。
彼女は刺繍も編み物も好まず、人形の一体も持っておりませんでした。
自身を呼ばわるのには年頃らしい妾とも言わず、俺と言います。
どうやら身体の弱さから、男子と謂うものに憧れているフシがあるようでした。
俺が男だったら。嘆息して、窓の外を見遣るその横顔は確かに少年とも言えるようであり、然してその憧れこそが彼女を少女とさせていました。
彼女のおよそ少女らしい趣味と言えば、空想を語ることのみだったのです。
「先生、もしも、」
この、もしも、と話し出すのが大好きな様子で、繰り返し中身を変えて私へ語り掛けました。
もしも、密林の奥地で生まれたら?もしも、海に浮かぶ離島に取り残されたら?
突拍子もない発想が殆どでしたが、彼女の語る様様な人生は活き活きとしていて、私をよく楽しませてくれました。
「もし先生が、お医者の先生じゃなかったら、どうしてた?何になってた?」
私が答えるのを、私の白衣の裾を少し掴んでわくわくと待つ彼女の様子が愛らしく、つい微笑んでしまいます。
「そうだね。私の父の話をしたことがあったかな?」
「ううん」
「私の父は、教師だったんだ。尋常小学校で、子どもたちへ教えていた。母の家はもうずっと昔からの医師の家系で、御典医を務められた人もあったそうだよ。
母は家を勘当されて父と一緒になったけれど、本家の血筋が危うくてね。勉強は出来たから、私が呼ばれたのだけど、本当は父と同じに教師になりたかった。
父が貧乏教師と馬鹿にされるのが悔しくて、ここへ来たのだが・・・。両親は喜びはしなかったな。それが親孝行なのだと信じていた私が浅はかだったんだね。
――もうそれからずっと、両親には会っていないんだ」
人に話したことの無い、つまらぬ身の上話でした。
彼女はそれをジッとして聞き終えると、その細い手を私に伸ばしました。
私の頬へ薄い手のひらを当てますと、小首を傾げて眉を顰めました。
「先生、辛いか?」
心から心配する声音、共感する瞳です。
私は目を瞠りました。
それは、彼女の病状の良くないときに、私が問う言葉でもあったからです。
このように顔色の悪く、病床で本を読むことしか出来ぬ、哀れまれるべき虜の少女の口から出たことに、私は何故か驚いてしまったのでした。
「ああ、いいや、」
当てられた手が可哀そうなほどに冷たく、ぎゅっと握って下ろさせ、摩ってやりました。
爪の白いのが次第に肌色になりますのを、ホッと安堵しながら言いました。
「親族の態度の変わりようには、もう溜飲を下げたからいいんだ。
性格が悪いだろう?自分でも嫌になる。
今居る患者たちには責任があるから、すぐに務めを放り出すことは出来ないが、別にいつだって教師にはなれるだろう。
昔に比べたら、今は職業選択の自由があるからね。医者になろうが、教師になろうが。サアカスの調教師になっても、従軍医になったっていい」
私に手を握られながら、サアカスの、のくだりのところで目の端を和らげたリヴァイでしたが、従軍の話が出た途端、俯いてしまいました。
世間の情勢は悪くなる一方で、大戦の噂は日々具体的なものになっておりましたし、実際に軍医の打診が、私でなく同僚のもとへは来ていました。
「先生、兵隊になるのか?」
「ならないさ。リヴァイはまだ暫く、ここに居てくれるのだろう?」
それは私の医院にか、また別の場所にかは、思考を掻き混ぜて濁しました。
彼女の身の上の儚いことは主治医である私が一番分かっていることで、けれどそれを一番忘れたいのも私ではないかとこの時思われました。
「もしも、先生が、学校の先生なら。俺はその生徒になって、先生が御本を読むのをいつまでも聴いてたい。先生の声、低くて心地が好いから」
「居眠りはしないかい?」
「春なら、してしまうかもな。陽が柔らかく差して、窓辺の席なら風があって。
学校にはきっと桜並木があるだろ、それが紙細工みたいにちらちら散るのを、じっと見てたい。きっと温かくて、転寝しそうになる。そして先生に叱られるんだ。」
「・・・・・・」
鮮やかでやさしく、けっして叶うことがないと知っている故に、それはあまりに甘美な妄想でした。
「――もし俺が男で、先生が兵隊さんなら、」
リヴァイは、そのかよわい手で私の手を握り返しながら続けました。
薄甘い少女のモシモの話の筈ですのに、それはキリとした、強い瞳です。
「先生が将校さんなら、俺は従卒になる。いつでも付き従って、先生の言うことを何でも聞く。それで、先生を庇って、死にそうになるけど、やっぱり死なないんだ。
男なら死なない。先生とずっと一緒に生きてゆく。」
そうして少し笑ったかと思うと、視線を下げました。繋がれた手の方を見遣っているようです。
少し落ち窪んだ目蓋が半分ほど伏せられ、睫毛が震えているのが、私にはよく分かりました。
「でも俺は、女だから。せめて、先生に憶えていて貰うことしか出来やしない。」
ポツと吐き出したその次の言葉は、ややあって熱を帯び、声音を和らげて私の胸へ運ばれました。
「先生。俺を憶えていてくれる?」
そう言って私を見ましたリヴァイの薄墨色の瞳の控えめな上目遣いの、いじらしいこと。
清らに保たれたその切り揃えられたうしろ頭の美しいこと。
私はどうにも切なくなって、「勿論。」という一言をやっと搾り出したのでした。
「リヴァイ。それなら私たちは、先生と患者を辞めよう。患者は大事だが、多く居る。君は私のたったひとりだ。君の兄になりたい」
「お兄さま、に?」
キョトンとした様子が愛らしく、私はもうこの小さな妹をとびきりに愛すことに決めてしまったのでした。
「何でも、気軽に呼んでくれたらいい。ほら、これも脱ぐよ、医者は終業時間だ。」
白衣をスッカリ脱いで、横へ放ってしまうと、私はタッタひとりの彼女の兄になったのです。
リヴァイは、情の薄い看護婦連中からは表情の代わり映えのしない、暗い目つきの少女と思われていたようですが、私の前ではまったく違いました。
いえ、勿論私に心を許していたこともありますが、彼女は看護婦相手にも別に睨んでいたわけでもなく、ただ少し表情筋の使い方が下手だというだけで、時には微笑むことすらありました。
彼女たちが職業意識以上の愛を持ってリヴァイを見ていれば、すぐに気づけることなのでした。
そのリヴァイが、驚きを(彼女なりに)顔一杯に貼り付けて、薄い唇を半開きにして私を見つめます。
「せんせい、」
「もう先生じゃないよ。」
「じゃあ、・・・にいさま。」
俯いて顔を赤らめますので、嬉しくなって私は彼女をそっと抱き締めました。
最初、ビクリと肩を震わせた彼女でしたが、暫くすると形の良いこまかな貝のような爪を私のシャツに掛け、その手のひらを胸板へ沿わせてきました。
「兄さま」とリヴァイが、満面の笑みで(これをまた、看護婦連中に見せても珍しく微笑した程度にしか感じられなかったでしょう)呟きます。
それに返事するように、年の離れた兄はたったひとりのいとけない妹を、さっきよりは力を込めて、しかしソッと抱き締めるのでした。
それから二年が経ち、リヴァイは十四歳になっていました。
手足はほんの少しだけ伸び、然して肥えることはなく、折れそうなほどに細く、顔色の青白く無い日はもう殆どなくなりました。
ただ寝台へ臥せっている日ばかり多くなり、摂る食事の量といえば小鳥のよう。そればかりですら、戻してしまう日があるほどです。
彼女を覆う死の影は、いっそう濃くなってきておりました。
「・・・恐らく、この冬までだと思われます。春までは、むつかしいでしょう」
私はリヴァイの父に告げました。彼は、膝の上に置いた拳をワナワナと震わせています。
「春まで、どうにか持ちませんか。こんな寂しい季節に逝くなんて、棺に好きな花も入れてやれやしねえ、」
目蓋を揉み、搾り出すようにそれだけ言うと、ガクリと俯いてしまいました。
医師であることがこんなにも恥ずかしかったことは、後にも先にも無かったことでしょう。
私は患者を、いえ、たったひとりのかりそめの妹ですら、救うことが出来ないのです。
けれどそれは、私にも、リヴァイの父にも分かりきっていたことでした。
彼女は天の御国へ迎えられ、それまで一生はけっして長くないということを。
リヴァイの、少年とも少女とも呼べ得る薄く、余分の肉の無い、死の崖の一等端へ爪を立てて齧りついているような身体を、ずっと傍で見てきた私たちです。
ですから今更、喚くこともお互いにありませんでした。リヴァイ本人ですらそうでしたでしょう。
恐らく死期を告げても彼女の瞳は揺らぐことなく、そのキリとした背筋は伸びたままなのでしょう。
勿論医師として、私はその残酷な診断を、彼女に乱暴に突きつけるようには致しません。
これまで私が患者にしてきたように冷静に淡々と、結果だけを伝えることは出来なくとも、ゆっくりと言い含めて、なるべく心労の少ないように、配慮することでしょう。
けれど、私と彼女の父とは、彼女に告げないことに決めていました。
リヴァイの体調は、彼女自身が分かり過ぎるほどに分かっていることであり、それをワザワザ告げるのは、彼女を侮ることにも思えたからです。
リヴァイ自身の運命を、知り過ぎるほどに知っている彼女なのですから。
実際、彼女は暫くして、私にこう言ったのです。
「にいさま。俺、もう、桜は見れないんだろ?」
何も言えず、サラとした前髪をただ梳き、頬を撫でてやっていると、彼女がポツリと溢しました。
――ねえ、先生。いいや、兄さま。俺を兄さまの、お嫁にしてくれる?
心細い声でした。頼りない声でした。吐息とも呼べるほどに、吹けば飛ぶような砂粒の如き呟きでした。
私はなんと謂うことを彼女に言わせてしまったものかと、瞬間カッと頭に血が上るほどでした。
「――当たり前だ。私のたったひとりのお前を、どうして他の男へやれる?」
己から婚約の言葉も言い出せぬ、愚かで意気地の無いつまらぬ男の私のその返事を、リヴァイはいつになく笑って受け止めてくれました。
「俺に、兄さま以外の他の男が探せると思う?
俺がもし、余所へ好きに歩いていける身体だったとしても、空へ羽撃けたとしても。俺には兄さましか、見つけられなかったよ。」
――こうして私たちは婚約をし、その夜に結婚をするのに決まったのです。
うわの空で仕事を終え(最低限の職業意識だけは、守ったつもりです)、急足で百貨店へ寄り、小間物売場でantiqueな雰囲気の純白レースのハンケチを買いました。
女性が持ち歩くには手に余る、やけに大判のものです。
逸る気持ちを抑え、とにかく家へ帰り着くと、風呂に入り、身形を整えました。
モーニングや燕尾服などは店へ預けているので、クロゼットの中で一等仕立ての良い漆黒のスーツを下ろしました。
シャツもネクタイもカフスも白の、ハレの日でもない平日には妙な風体で歩いているのを見咎められ、声を掛けられるのも時間を取られつまらないとコートを羽織りました。
私は彼女のような薄く軽い肉体でないことを少し恨めしく思いました。
男の身体にはこびりつくように筋肉がついて隆々としており、まるで蛾の腹です。
蛾の醜く重い身体では、夜を一足飛びに跨ぎ走ることしかできません。
リヴァイのような華奢な骨組みであるなら、見事な羽さえ拵えれば、きっとこんな塗り潰されたように漆黒の夜もすぐに飛んでゆけたはずです。
それでも飛ぶかと言うほどに走って医院へ戻り、彼女の病室の戸を叩きました。
運動後のせいだけでなく胸は早鐘を打ち、顔は少し逆上せておりました。
気持ちだけはどういう訳だか泰然としており、大洋へ向かう汽船のようなのです。
「――先生?どうぞ。」
やや間があり声がしたので、私は彼女を驚かさぬよう、ソッと戸を引きました。
「兄さま。その格好…」
「浮かれ過ぎたかな・・・おかしいかい」
「ううん、とても、素敵、だと思う。」
リヴァイが顔を赤らめます。
彼女の日常の青白いほどからすれば、赤らんでみえるとは相当です。まるでほおづきのように色づいて見えます。
「リヴァイ、君もとても綺麗だ。」
寝着でなく、白い長袖のゆったりとしたワンピイスを着て頼りなげに彼女は立っていました。
ガーゼのような薄布で、膨らんだ袖は彼女の痩せ細って痛々しい肩をまあるくみせていました。
洗い髪はまだ湿り気がありましたが、黒髪に艶やかな光沢があります。
白粉で薄化粧された肌、くちびるには紅も差してありました。
小ぶりな口に相応しく、控えめに引かれているその紅は恐らく彼女の父親が用意したものでしょう。
「リヴァイ、女性から大事なことを言わせてしまったこと、本当に済まない。・・・もう一度、やり直させて頂けるでしょうか、私の可愛いひと」
背に隠していた花束を差し出し、冷たいリノリウムの床に跪きました。
「私の伴侶は君だけだ。どうか、私の妻になってほしい」
花はスイトピーを選びました。潔く白く、花弁は蝶の羽のようです。冬の少ない陽のひかりを目一杯に吸って育った、これは春の花でした。
「こんな、これ、どうして。今、咲いてるのか?」
「咲いてもらったんだ。君の為に」
医院からそう遠くない場所に、私の母校である大学校はありました。そこでは私の友人が今でも植物学の研究を続けており、立派な温室を管理していましたので、
頼み込んで譲ってもらったものでした(知人の彼女は快く承諾してくれましたが、その御喋りに付き合うのはとても時間を食いますもので、逃げ帰ってきたのです)。
驚いてその花を見つめているリヴァイは、季節はずれに狂い咲く花よりも可憐でした。
「リヴァイ?」
「ごめんなさい、吃驚して。あの、兄さまが格好良くて、スイトピーが、こんなにも奇麗だから」
彼女は花束を胸に抱くと、「人並みにも至らぬ女ですが、どうぞ、貴方のものにしてください。」と伏目にはにかんで言いました。
「嬉しいよ、有難う、リヴァイ。」
感激で遮二無二抱き締めたい気持ちをどうにか抑え、私は彼女の手のひらを取り、接吻いたします。
いよいよ茹でたように真っ赤になるリヴァイへ、「では、誓いを立てよう。」と促して寝台へ腰掛けさせました。
レースのハンケチを拡げ、額へ差しかかるように被せてやると、それはすっかり花嫁のベールになりました。
それは彼女と私の、ささやかな二人だけの結婚式でありました。
聖書に手を重ね合わせ、お互いを見つめあい、誓いの言葉を述べます。
「一生を汝の伴侶であり、半身であり、苦と楽とを共にし、死が二人を分かつときにも、愛し抜くことを誓います。」
「夫に、従います。」
レース越しでもリヴァイの瞳は透き通っており、潤んでいるのがよく分かりました。
瞳は次第に揺れ、ひとしずく涙がこぼれました。
私は彼女のベールをソッと上げるとまず濡れた目尻に接吻し、そしてくちびるを合わせました。
リヴァイの涙の味は甘く、くちびるの味はまだ分からぬままに、私たちは顔を一旦離しました。
「愛しているよ、リヴァイ。私の妻、私だけの少女だ。」
「少女じゃ厭だ。――ちゃんと、女にして。兄さまだけの女に、してよ」
その言葉は随分気丈ですのに、声は震えているのです。
私はたまらなく思い、けれど大事にしたい気持ちから、せめて最初はそっと肩を抱きました。
「それなら――兄さまでなく、私をエルヴィンと呼びなさい。お前の夫なのだから」
「はい、・・・エルヴィン。」
私は彼女の薄い肉体を寝台へゆっくり倒し、いつものようにその黒髪を梳きました。
入浴後には薄く漂うシャボンの香りが、今日はまるで百合のようです。
練香水の類いでしょうか。彼女自身と同じく、控えめで、清楚な匂いです。
それを吸い込むと容易く胸はいっぱいになってしまい、私の心はまるで少年の頃へ立ち返りでもしたかのように早鐘を打ちました。
くちびるを合わせ、ずらし、食み、彼女の形をスッカリ憶えてしまうと、口を開けさせて舌を差し入れました。
「ん、・・・んぅ、」
少し目を見開いた彼女の初心さがまた私の胸を擽ります。
ゆっくりと抜き差しをするように舌を動かし、絡めていくようにすると、リヴァイもたどたどしくそれを真似ました。
リヴァイの舌はごく薄く、まるで真赤に血の通ったスイトピーの花弁、蝶の羽のようです。
ヒラヒラとするのが可愛らしく、また淫猥に思え、夢中でその舌を追いました。
「う、ふ」
軽く吸い上げると、身体はビクと震えます。
暫く口内を可愛がり、息も絶え絶えな様子にくちびるを離すと、唾液が糸となって引き、彼女はハと大きく呼吸しました。
反った喉元へまたくちびるを落とし、その馨しい香りを嗅いでは、噛むように接吻いたしました。
接吻を続けながら、ゆっくりと、恐がらせぬように慎重さを持って、彼女の肉体を手のひらでさすって確かめました。
薄い胸、尖った肩、形の良い鎖骨、やはり羽のような肩甲骨。
その姿かたちから、各部までの距離まで、すべて記憶したいと思いました。
この季節の先、彼女がヒラと羽撃き旅立ってしまったときにも、リヴァイを何より鮮やかに思い浮かべられるように。
掴んで壊せそうな細腰、少し張った骨盤、意外なほどに柔らかい太腿、尻、下生えのあたり。
なぞるごとに白魚の如く彼女の瑞瑞しい肉体は跳ねます。
胸元の釦を外し、そこへ顔を埋めると、「ひゃ、ッ」と愛らしい悲鳴が上がり、私は動きを止めました。
「・・・やっぱり、怖いかい?」
リヴァイは首を振ると、「いい、だいじょうぶ。して。」と顔をまた赤くして言い張ります。
私は熱く硬くなっている下半身が彼女に触れて怯えさせないよう、少し腰を引いて慎重に愛撫を続けました。
胸はとても小ぶりでしたが、くちびるに柔らかく、尖りをソッと含めば、「あ」と声を上げて反応します。
舌を尖らせて、乳首の周囲の、色の少し濃いところをなぞるのを繰り返し、反対側は指で弄ってあげました。
「あ、アッ、やぁ・・・ッ」
「可愛いよ、リヴァイ。とても奇麗だ」
手で触っていた方も同じように舌で嬲ってやり、硬く尖り色づいたそこを吸うとビクッと腰が浮きました。
ビクビクと反応をするのが面白く、執拗に舌と口、あるいは歯で嬲り続けますと、不安げだった表情はいつしか少しずつ蕩け、何処を見るともなしに視線は揺らいでいます。
腕の内側の滑らかな部分や、ふくらはぎの内のピンと皮膚の張ったところ、そして太腿の内側にも唇を這わせました。
何度も行き来するあいだ、それぞれの柔らかい場所を吸い、珊瑚色の跡を残してゆきます。
リヴァイはその跡をウットリした目で見て、口元にほんの少しばかりの笑みを浮かべました。
けれど別の場所へ移動するたびにビクと震え、処女の反応を示しましたので、私はもう我慢が利かなくなってきておりました。
それでも、その華奢過ぎる身体へ無体を働くことは恐ろしく、ジッと堪えて蕾の綻ぶのを待ちました。
彼女の身体で触れた皮膚のないくらい、丹念に愛し、ソコへ指を沿わせました。
ヌルとして温かく、太腿に垂れるほどに濡れています。
「あぁ、エルヴィン・・・っ、恥ずかしい、ア、消えたい・・・っ、」
彼女の表情と同じにトロトロと融けたそこへ舌を這わせると、「やッ、にいさま、堪忍してッ」と羞恥が過ぎたものかリヴァイが甲高い声を上げました。
私は薄い下生えまで舌を尖らせて旅すると、「お前の夫は誰なんだ?」と意地悪く訊いてやりました。
大きく舐め上げると立つグチュグチュとした卑猥な音に鼓膜を犯され、耐え切れなくなったリヴァイは「う、あッ、エルヴィンッ、エルヴィン、もう、」と切ない声音で懇願します。
「もう、じゃあ。繋がろうか、リヴァイ」
ハッハッと、興奮と緊張から彼女の息はあがっており、私も似たようなもので、肩で息をしていました。
宥めるように唇を触れ合わせると、少し覚悟が整ったものか、「いい、エルヴィン、だいじょうぶ、」答えて私の目を縋るように見つめます。
「ゆっくり、するからね。痛かったら言うんだよ」
そそり立ったペニスを馴染ませるように彼女の秘芯へ何度か擦るようにした後、その言葉通りに時間を掛けて、ゆっくりと挿入しました。
「う、アア。える、エルヴィンっ、」
「うん、」
震える彼女の肩を抱き締めるように手を回し、彼女も私の肩へ縋るように腕を絡めていました。
折り曲げた膝が尖って可哀そうに思い、摩ると「アッ」とまた身震いします。目蓋は硬く閉ざされ、眉間に細かな皺が寄っていました。
真赤になって小刻みに震えながらも、私を受け入れんとするその場所は情に濡れながらも、やはりまだ綻び始めた蕾ほどの固さでした。
今まさに刺し貫かれようとしているこの生き物は、快楽に溶けても女でなく、やはり少女なのです。
先までを含ませると、そこは熱く、狭くありました。
日ごろは青白く冴え凍るように写る肌なのに、その肉の内側はとても熱いのです。これはやはり飾られるだけの哀れなbisque dollではないのでした。
「っぜんぶ、はいった?」
「いいや、まだだよ。痛いかい?」
「いたい、けど、熱くて・・・、頭がくらくらするほど、熱くて・・・きもちいい、エルヴィン、」
嗚呼、なんといじらしい答えでしたでしょう。
私はこの神から最も愛されるべきいたいけな少女の体内へ、ジリジリと身体を進めました。
「っア、ああ、はいる・・・ッ」
「リヴァイ」
総身を収めて、息を吐いた私でしたが、リヴァイは息を吸うばかりで、滅多に吐いていませんでした。
ヒクッヒクッとしゃっくりのようになっている彼女へ、「息を吐きなさい」と声を掛けると、ようやっと呼吸を思い出したのか言った通りにしていました。
「リヴァイ、全部入ったよ。繋がっている。ひとつになったのだよ」
ハアハアと胸を上下させているリヴァイの手を取り、繋がっている部分へ導きます。
私の硬いモノに触れると少しギクとしていましたが、ぬるついてくっ付いたようになっているそこを撫で、
「ああ、・・・ほんとうだ」一個になってる、と目元を和らげたかと思うと、涙がまた幾筋も落ちるのでした。
「エルヴィンと、ッひとつ。」
「うん。」
感じ入った様子にこのまま抜いて終わってしまっても良いかとさえ思いましたが、これは一種の儀式でしたので、最後まで全うしようと、彼女の太腿を抱えなおしました。
「リヴァイ、・・・動いても?」
「・・・ッうん、いい、痛くてもいいッ、だいじょうぶ、だから・・・っ」
なるべく緩やかに動き出したものは、辛抱していた欲たちを集め、勢いを増してゆきます。
ギリギリまで抜き出し、ゆっくりと、しかし先ほどより早くグッと突き入れると、「アッ、あぁッ」リヴァイが耐え切れぬ悲鳴を上げます。
膣内へ擦りつけるように前後するのを繰り返すと、少し緩んだかと思われた中は気まぐれにギュウと締まり、私に快感を与えてくれました。
「やあ、ああッ!あっ、アッ」
次第にリヴァイも、痛みと熱だけを感じているのではないようで、奥まで付くように押し上げると隠し切れぬ嬌声を上げ、けなげにも脚を絡めてくるのでした。
焦点を失った瞳からは涙が未だ溢れ、頬へその筋を幾つも作っておりましたが、貞操を失った悲しさからだけでなく、初めての性的な心地好さに酔っているようにも見えました。
腰を動かすたび、ああ、アア、と可愛い声を上げ、私の腕より他に縋るものを知らぬとでも言うようなその仕草に、私はまったく昂ぶってしまっておりました。
「リヴァイ、・・・ッリヴァイ、っ」
「やぁーッ、あアッ、あ、あー、・・・ッ!」
パンパンと弾ける様なあからさまな音のするほど、彼女へ無心に叩きつけ、これを終わらそうとしました。
余りに長く嬲ることは彼女の身体に差し障るし、また処女であった心は千々に乱れるほどに疲弊しているだろうと思ったからです。
しかしそんな優しい理由など必要の無いほどに私には絶頂が迫ってきていて、酷くしてはいけないという思いと鬩ぎ合いながらギリギリの強さで前後し、汗を彼女の上へ降らせていました。
ギシッギシッと今更ながらに寝台が軋んでいるのが聞こえます。
リヴァイはハアッハアッと荒い息で、赤らみ汗ばんだ額を振って厭々をするようにしていました。
膣内はいよいよ私を絞め殺そうかというほどにうねり、熱く脈打っています。
「リヴァイ、中へ出すよ、ッ」
「ッうんっ、だして、ぜんぶ、だして・・・ッ」
大き過ぎるうわごとのように彼女が口走ったあと、口紅のずれてしまった赤いくちびるを吸いました。
舌を噛み切るように歯で食み、そのまま腰を叩きつけるようにすると、すぐに射精が始まりました。
「ウウ・・・ッ」
「ン・・・ッ、う・・・ッ!」
奥の奥へ招かれ、ギュウウと絞られ、そこへドロドロとしたものを何度も何度も吐き出しました。
すぐに終わるかと思われた絶頂が、中でビクと脈打つたびに幾度も訪れ、あまりの多幸感に眩暈までいたしました。
噛んでいた舌をソロと吐き出し、リヴァイを見遣ると、ハー、ハー、と犬のように舌を出したまま荒い呼吸をし、虚ろな目で彼女も私を見つめています。
時折、入ったままの中ごとヒクと腰が引けますので、彼女も身体を離すのが惜しく思っているのだと感じられ、私はまたギュウと妻を抱き締めました。
彼女は力のこもらぬ腕をどうにか私の首に絡め、「・・・エルヴィン。」と心底いとおしそうに名前を呼ばわります。
私のたったひとり。私の妻。私の半身。
リヴァイの首筋へ顔を埋め、その汗ばんだ、けれど潔らなそのにおいで肺をいっぱいにしますと、私の目からパタパタと、熱い液体がこぼれ落ちたのです。
「エルヴィン、・・・如何して泣くんだ?」
私の背後頭を、やさしく、まあるくリヴァイが撫でます。
「・・・幸せだからだ。君のようなうつくしい伴侶と、こうして契ることが出来たのだから」
顔をあげると、そこにはめいっぱいの硝子細工の微笑。
私たちはくちびるを交わし、互いの身体のみがこの世の頼りであるように、ひそやかに愛を告げ合い、抱き締めあったのでした。
リヴァイと契ったのはそのタッタ一度きりです。
彼女はその胎内へ子を宿していました。少女は、母になったのです。
億千個もの星がこの地へ堕ちたとて、懐に入るのがどれほどの確率か。それは如何ほどの僥倖でありましたでしょう。
「まだ、生きたい。この子を産みたいんだ、エルヴィン。」
彼女は妊娠してのち、いっそ意地汚いとも呼べるくらいの生への執着をみせました。
悪阻は酷いものでしたが、吐いても、吐いても、彼女は経口での食事をやめませんでした。
えづく口へ無理矢理に食べ物を詰め込み、咀嚼して飲み下すのです。
何度かに一度はそれを洗面器へ戻してしまい、しかしすぐ口を漱ぐと、また食べ出します。まるで獣の様相です。
胃液にまみれ、梳ることも忘れ乱れ切った彼女の髪を撫でるたび、愛しさは増しました。
少女のまま母になり、地べたを這い摺りまわるようにして融け切った蝋燭の命を延ばし、子を生かしている。
彼女に羽があったなら、それはもはやボロボロで、空など飛べる有様ではなかったでしょう。
しかし私はこの見っとも無い、生への欲に塗れた蝶の姿態に、かつての少女らしく控えめであった頃より、さらにずっと愛情が増しているのを感じました。
蝶は、変態してゆくものなのですから。
リヴァイは驚異的な生命力をみせ、腹は膨らんでゆき、臨月になりました。
ヨタヨタと、細く小さな病人の身体に見合わぬ大きな腹を、大事そうに抱えて中庭と部屋とをけなげに行き来しました。
予定より早くの出産となり、それでも彼女は無事赤ん坊を産み落とし、額へ接吻すると、
心無い看護婦にも分かるほどの(実際ギョッと肩を上げておりました)笑みをみせました。
「おれの、あかちゃん。」
それからひと月も経たぬうち、彼女はスッカリ死の床にありました。
周囲の人は皆、妊娠中に死ぬか、持っても出産までで、その子どもと会うことなど不可能と予想を立てておりました。
その羽の燃え上がるほどの最後の生命力を間近で見ていた私でさえ、ここまで生きて来られたのは本当に奇跡だと思いました。
「エルヴィン、この娘をひとりにしないで。俺の傍に居てくれたように、いつでも傍に居て。」
最期の床の中で彼女は愈愈蒼く、透明なほどでした。
息をついでは、私の名を呼び、傍らで何も知らず眠るちいさなちいさな娘を心配いたします。
「私たちの娘を、ひとりになんてするものか。ああ、リヴァイ。お前は私の半身だ、まだ失ってはいないのに、もう捥ぎ取られた様に痛むんだ。リヴァイ、リヴァイ」
「エルヴィン、・・・嬉しい。エルヴィンから何かを奪えて。――何かを与えることが出来て。」
「リヴァイ、」
「俺のエルヴィン、俺を憶えていて。おぼえていてくれ、える――」
ひとひらの蝶の、たった十五年の生で遺したものがひとつ、奪ったものがひとつ。
リヴァイを荼毘に付して暫く後、リヴァイの父親が屋敷の蔵の天井の梁へ首を括っているのが発見されました。
ひとり娘を失い、世を儚んだのでしょうか。
いいえきっと違ったでしょう、彼はかつての妻の――かつてからの妻との約束を果たしたのです。
彼の人生はそれまでのものだったのです。心はおそらく、リヴァイの母が亡くなったときに一緒に死んだのでしょう。
私がそうだからです。リヴァイの、彼女の居ない現世など、何ほどの意味がありましょう。
私は、半身を失ったのです。
確かめることはありませんでしたが、リヴァイを産み、亡くなったという彼女の母もまた、少女と呼ばわれる年齢だったのではないのでしょうか。
短命の一族。
少女のうちに伴侶と契り、次の彼女を生み出して、死んでいく。
リヴァイが、リヴァイを生むのです。
そうして連綿と続く細い一本の糸、それもまた繁栄と云えるのかも知れません。
途切れずに続く少女の家系です。
「アア」
腕に抱いた、リヴァイの娘が大きな声で、ここにいることを伝えます。
赤ん坊のフニャとした顔つきですのに、それは確かにリヴァイなのです。
これはリヴァイの蛹サナギです。
いつかこの蛹から蝶が羽化して私に微笑み掛け、そして別の男へ「お兄さま」と彼女が呼ばわる時が来ましたなら。
彼女がまた彼女を産み、その腕に抱くことが出来ましたなら。今度こそ私は幸福の中で死んでいきましょう。
それ以上を望まず、彼女の前から消えましょう。
それこそが、蝶と蛾のツガイの道往き、いえ、蝶を愛した身の程知らずの蛾の運命なのです。