秘密の部屋
──僕の家には秘密の部屋がある。
僕の家は、父さんが相続した古城だった。
無骨で人見知りな冷たい石で出来たこの古城には、かつて兵士たちが大勢暮らしたらしい。
それをどういう訳か相続した父さんと(僕は他の親族にあった事がない)、
息子の僕と、メイドのリヴァイと三人ぽっちで住んでいる。
古城には勿論、沢山の部屋があって、僕はその中を探検するのが好きだった。
各国のさまざまな本の並ぶ書庫、埃っぽいドレスやタキシードのある衣装部屋、
兵士たちが数人まとまって住んでいたらしい居室など、それは色々だ。
「ただいまー!」
学校から帰宅した僕が何より最初に顔を出すのは台所で、
何故かというとお腹が空いているからだった。
そしてこの時間いつもリヴァイは台所で、僕のおやつの用意をしてくれているからだ。
「おう、お帰り。坊ちゃん」
「ただいま、リヴァイ!今日のおやつは何?」
「今日はビスケットだ。……こら、つまみ食いはお行儀がよろしくねえな?」
悪い手ッ手だ、とリヴァイは僕の手の甲を軽く抓みながらそう言う。
リヴァイはメイドだけれど、とても口が悪い。
雇い主の父さんにだって、僕とそう変わらない口を利くくらいだ。
喋り方は穏やかじゃないし、顔だって、綺麗だけれど、少し怖い。
通いの庭師のジャンに言わせれば、「おっかない」。
だけれど、僕が小さい時におねしょをした時は何も言わずシーツを洗ってくれたし、
父さんの大事にしていた花瓶を割ってしまった時だって、自分のせいにして庇ってくれた。
「ねえリヴァイ、だいすき」
僕がそう言うと、
「お坊ちゃんはいつまでも甘えん坊だな」
リヴァイは僕をギュウっと胸の中に抱き込んだ。
──そう何より、リヴァイは僕を抱きしめてくれる。
僕が悲しいとき、寂しいとき。
嬉しいとき、辛いときも、いつだって傍に居てくれた。
だからリヴァイは僕の大切な家族なんだ。
「困ったな……寝付けないや」
月の光があかるい夜だった。
僕はどうしてか寝付けずにベッドで困り果てていた。
ベッドサイドの時計は午後1時を指している。
普段ならとっくに夢の中の時間だ。
僕はえいやとシーツを捲り、パジャマ姿の素足にスリッパを履いた。
もしかしたら針仕事なんかを抱えたリヴァイが起きてるかもしれない。
それとも、小さい頃のようにベッドに潜り込んでみようか。
僕はワクワクしながら、けれどソロソロとリヴァイの住む部屋へ続く廊下を歩いた。
広い城内だったが、寄り集まるように暮らしているので、そこはそう遠くなかった。
「……リヴァイ?起きてる?」
コンコン、と扉を叩く。
返事は無い。
ドアノブを回すと、それはすんなりと動いた。
鍵は掛かっていなかったらしい。
「リヴァイ?いないの?」
ベッドには人の影も無い。
どうやらリヴァイは不在のようだった。
どうしてだろう、と僕は首を捻った。
流石にこの時間にいないのはおかしい。
トイレだろうかと部屋の外に出た。
僕は閃いた。
そうだ、探検しよう。
古城の中は、もうスッカリ探検し切っていたけれど、夜に歩き回るのは許可されていない。
僕は喜び勇んで、探検に乗り出した。
老朽化の進んだこの城にはいくつか立ち入り禁止の部屋があった。
今日は叱る父さんも寝ているのだし、と僕は思った。
あの部屋に行ってみよう、と。
その部屋は、石で出来た回廊の先にあった。
持ち出した燭台は、歩くたびに揺れ、廊下の壁に影を作り出す。
それは人の形だったり、動物の形だったりに似ていて、僕を少し脅かした。
けれどその度にふるふると頭を振って、良くない考えを頭から追い出すことに成功した。
「ついた……」
その部屋は、大きな扉で塞がっている。
古い言葉で『団長室』と書かれている、そう父さんが言っていたことを僕は思い出した。
ドアノブを握り、そっと回す。
キ、とか細い悲鳴を立てて扉は開いた。
確か、前に探検した時には、ここに鍵か掛かっていたはず。
今日は開いている!
僕は嬉しくなって、ワと声を上げそうになったけれど、やめた。
僕にはあることが引っかかっていた。
リヴァイの不在。
それは、もしかしたら『ここ』にいるからでは無いのか?
僕は気持ちを引き締めて、そうっと開けた、細い隙間から中を覗いた。
中は仄明るい。
──やっぱりリヴァイはここにいる!
いた。
リヴァイは『そこ』にいた。
危うく取り落としそうになった燭台を、慌てて持ち直す。
上から吊られた、何本かの黒い革の紐。
その紐が蛇のように纏わりついて、白い何かを吊り下げている。
部屋の中、たった一つの燭台と、月の光に照らされた『それ』は確かにリヴァイだった。
裸体の端々に黒い紐を纏わせ、宙に浮いている。
月の光か、それとも元々なのか、初めて見るリヴァイの裸体は青白かった。
「リヴァイ」
僕は飛び上がった。
思わず上がりそうになる声を間一髪で止める。
「リヴァイ。……ああ、お前はどうして」
その声は紛れも無く、僕の父さんだった。
エルヴィン・スミス。
街で教師をしている傍ら、この城で歴史を研究している僕の父親は、
聞いたことのない冷たい響きでリヴァイを呼んだ。
リヴァイは答えない。
二人のあいだに沈黙の時間が流れる。
暫くすると、父さんは手に持っていた何かを振り上げ、
ピシッ!という鋭い音を立ててリヴァイを叩いた。
「ふぅッ……!」
リヴァイが身を捩ると、黒い革たちはギシッと軋んだ。
叩いた。
父さんが、リヴァイを。
あの、優しい父さんが、リヴァイを打つなんて!
父さんの持っているものはどうやら乗馬鞭のようで、黒くしなるソレはもう一度振り上げられると、
緩められることの無い速度でリヴァイの肌に当たった。
「ッ……!」
それから何回か鞭で打つたび、ビシ!という酷い音がして、さっき叩かれたばかりのところがだんだんと赤くなっていくのを、僕は見ていた。
リヴァイの青白い肌に、その跡は赤く、まるで花が咲くようだった。
ビシ!と打つと、パッと赤い花が咲く。
その様が綺麗で、けれどやっぱり恐ろしく、僕は思わず目を逸らした。
すると、月明かりで壁が見えた。
壁には一面、ガラスの枠に捕らえられた、ピン留めの蝶。
父さんと僕が一緒に作ったのとは違う、古ぼけたそれらは、色とりどりに僕を見ている。
突然に、それが怖くなって、僕は逃げ出した。
そしてベッドへ戻り、早く早くと目を固く瞑って祈った。
どうかこれが、僕の悪夢でありますようにと。
次の日、僕はいつも通り、リヴァイの声で目を覚ました。
「坊ちゃん、坊ちゃん」
シーツを捲られる。
いつもと同じ、僕の優しいリヴァイだった。
「おはよう、よく眠れたか?エルヴィン」
父さんも同じ。
僕の優しい父さんだ。
僕らはいつも通りの朝食を過ごした。
僕は『それ』を、ただの悪夢だと思うことにした──。
あれから十数年が経った。
父さんは亡くなり、古城は僕のものになった。
扉を開く。
垂れ下がる黒い革の紐を、リヴァイに装着していく。
淡々とした作業だ。
リヴァイは諦めたような、けれど期待しているような顔で、僕にほんの少し微笑みかけた。
「またよろしくな、エルヴィン坊や。」
鞭を持ち直す。
窓からの月は白んで、リヴァイの裸体を照らし出している。
壁の蝶たちだけが、『私』たちの秘密の部屋を知っている。