1 ファースト・キス
私は肌の色の白いことこそを、何より尊いことだと思っていました。
人種のことではありません。
日に焼けているか、否か、それだけのことです。
元より肌の色の暗いものには、確かに惹かれるようなことはありませんでしたが、
私はそれを差別とは思っていませんでした。
肌を無闇に露出させることは、恥を知らぬことです。
私は幼少の頃より、夏でも長袖を着用させられておりましたし、日に焼けぬよう言い聞かされて育ちました。
男である私でさえそうなのですから、女性はもっと気を配るべきなのです。
特に、処女であるのなら、尚更そうです。
肌の色の白さに、私は何より処女性を感じ得ていたのです。
私は男のわりに肌が白く、また、童貞でありました。
それを恥じたことは一度もありません。
ただ、それを揶揄されるのも煩わしいことですし、ある程度の年齢で童貞ということを異常だと思う人間がいることもよく理解していましたから、人前でそのことを口にすることはありませんでした。
性欲のみで行うセックスというものは汚らわしく、また神の御意志の示すところではありません。
健全な男女が夫婦として番うとき、それを行うべきだと考えます。
私はこれまで心を動かされ、結婚したいと思った女性がおりませんでしたので、自然、そのまま純潔を保ち続けていることになります。
真に愛する人が出来るまでは、男性も女性も純潔を守るべきだと、そう思っておりました。
ファースト・キス
私は教師です。
勤める小学校には、立派な屋内遊泳場がありました。
太古の恐竜のような大きく太い白色の骨組みがアーチ状の天井を支えています。
硝子張りの天井からは、控えめな太陽光が青い水面に注いでいるのでした。
それはさながら、幼い頃に父と訪れた教会の荘厳で巧緻な、聖母の愁いを含んで柔らかに光るステンド・グラスのようで、私はこのプールをひそかに愛しておりました。
昔から水泳競技が得意だった私は、水泳部の顧問をしておりました。
ごくたまに、水泳部でなくとも、泳ぐことの苦手な子どもだけに放課後特訓をつけることもあります。
その日もそうした生徒たちの夏休み中の指導日で、ぱらぱらと集まった数人の子どもたちがプールで一生懸命水と格闘しており、微笑ましい情景を作っていました。
その中にひとり、浮く様な青白い肌を持った少年がいました。
B組のリヴァイです。
私の担任するクラスの隣、ごくたまにこうしてプールの授業のときなどは合同でしたから、勿論何度も顔を見ていて知っています。
私は彼に恋をしていました。
はじめての恋です。
私は神の教えに背き、男性を、それも少年で教え子を愛することに悩み、苦しみました。
けれど彼のあまりの肌の白さ、処女性を顕現したかのようなその目映さに日々胸は掻き乱され、脳は湧いたようになり、正気の境のぎりぎりまで追い詰められてしまうと、私はそれを認めざるを得ませんでした。
私は、導くべき教え子であり同性である少年の彼を愛してしまったのです。
「先生。」
呼びかけられた声にハと顔を上げると、いつの間にかプールは閑散としておりました。
夕方になり、射し込む力も弱弱しく、水面にはモザイク模様に光が散っています。
リヴァイはすらりとした白い脚を惜しげもなく晒しながら、ビート板などを片付けているようでした。
この年頃の脚付きは、男女そう変わりがないように思われました。
もっと大きくなれば、膝の形などが違ってくるでしょうが、酷く痩せているわけでもないリヴァイの脚は子どもらしい肉付きで、白くむちりとしています。
「みんなは?」
「さっき、先生が号令して帰っただろ?」
表情の少ないリヴァイの顔にはきょとんとした小さな驚きが貼り付けられ、呆れたように口を開けてこちらを見ています。
「ぼうっとしていた、すまない。片付け当番、リヴァイだったかい?」
ありがとう、助かるよ、と私も周りのものを片付けようと手を伸ばしました。
「違うけど、残った。」
「え?」
思ったよりも近くにリヴァイの声を感じ、振り返るとすぐ後ろで彼は私を見上げていました。
黒く長い睫毛が瞼の下に影を作っているのが、よく見えました。
「先生、クロール、もう少し教えろよ。」
もう少し、したい。
リヴァイは何も知らないあどけない顔でそう言って、私のパーカーの裾を引きました。
「あ、ああ。いいよ。」
「親はまだ帰ってこないから、少し学校に居てって言われてるんだ。」
後で迎えに行くからって。
私の心配を先回りしたように付け足すと、リヴァイは梯子を使わず、プールに飛び込みました。
ばしゃ、と大きくない水柱があがり、飛沫がプールサイドまで散ります。
「こら、飛び込まない。」
私は何故だか焦って、パーカーを脱ぎ捨て、リヴァイを追いました。
リヴァイは教わることなど何もないかのようにすいすいと魚のように泳ぎ、私はその後を少しの動悸を覚えながら泳ぎました。
――息継ぎが、下手なんだ。顔をつけずに泳ぐのはできるけど。
私はそう言うリヴァイにクロールでの息継ぎを教えました。
――顔を水につけ、手を動かし、この位置に来たら顔を横にするだけでいい。簡単だよ。
リヴァイは飲み込みの良い生徒でした。
あっと言う間に覚えてしまうと、何度かはたどたどしく水かきをしていましたが、すぐに慣れてまた魚のようにしなやかに泳ぎ出しました。
昼間のまま、最小限の照明だけをつけていたプールは薄暗くなっていました。
小さな水銀灯の仄かな光量は心細くなるほどです。
みずいろの水底を透かしていた水は、いつの間にか暗い紺です。
その中でリヴァイの肌の白さはやはり浮かび上がるようで、光の歪んだ下半身は、まるで人魚の鰭のように見えました。
「きれいだ。」
思わず口をついて出た言葉はリヴァイに届かず、「何?」と振り向かせたのみでした。
「そろそろ上がろうか、と言ったんだよ。」
すっかり彼に見惚れてプールの端で梯子に凭れていたままだった私は、ゴーグルや水泳帽を外して彼にもそうするよう促しました。
「疲れただろう。ほら、身体が冷え切ってる。上がりなさい。」
普段子どもに触れるような気安さで、実際はとても緊張して、私は彼の肩に触れました。
子どもの体温のためか、彼はまだほんのりと温かく、私は抱き締めたくなる気持ちを必死で押さえました。
「なあ、先生。」
「うん?」
「キスって、したことある?」
私は思わず彼を見つめました。
彼が水の中にいるときだけ、やっと真直ぐに向けられていた視線、水面にいるときには、決して向けることの出来なかった直線の視線を、私は彼に浴びせることになりました。
リヴァイは、普段と変わりの無い、少し機嫌の悪そうな、胡乱な目で私を見るばかりでした。
「……どうかな。馬鹿なことを言ってないで、上がりなさい。電話を貸そう。親御さんに連絡を、」
「先生。」
リヴァイはばしゃ、と水を邪魔そうにかいて寄ると、私の腹に手を当てて言いました。
冷たい手でした。
白い手でした。
紙のように白い手でした。
「先生と、キスしたい。」
先生、してくれよ。おれ、先生が好き。先生にキスされたい。
畳みかけるようにそういうと、リヴァイは私の腰に手を回し、抱きつきました。
きゅうと強く巻きついた腕に、眩暈がするようでした。
「リヴァイ、いけない」
「何がいけないんだ。おれが男だから?おれが生徒だから?」
「全部だ。リヴァイ頼む、離れてくれ、先生は」
「せんせい。して。してくれなきゃ、離れないから」
細い腕にかかる力が強まり、私はいよいよ眩暈と動悸が酷くなりました。
触れている皮膚の、熱いこと。
水に浸かっているとは思えないほど、私も彼も熱くなっていました。
「一回だけ。なあ、先生。」
せんせい、せんせい。
せがむ可愛らしい声に、私の頭は焼き切れたように真っ白になり、それでも恐ろしく、震えながら彼の肩を掴みました。
力を込めてしまえば、この青白い肌の下の骨など、簡単に砕けてしまうのではないかと思われました。
なので、そっと、そうっとリヴァイを抱き締めると、上向いた彼の顔に、私は自分の顔を近づけました。
塩素のにおいが、彼の清潔そうな肌から漂っているように感じられました。
私はそのにおいを吸い込むと、水温で冷えて色味の薄くなった彼の唇に、唇で触れました。
屈んだ一瞬、驚いたように目を見開いたリヴァイは、すぐにぎゅっと瞼を閉じ、私の唇を受け止めました。
触れるその寸前まで、彼の顔を見ていたい、透けるような白さを焼き付けたいと願い、唇がついてやっと、私は目を閉じました。
自分の心音以外、何の音もなく、時間が止まったかのようです。
しっとりと濡れた彼の唇は、私の唇とくっついてしまったかと思われるほど、長い時間が流れました。
いえ、もしかしたらそんなに長くはなかったかも知れませんが、私には長く、永遠かというほどの時間でした。
ふ、と呼吸が苦しくなったのかリヴァイが声を上げ、私は彼を放しました。
リヴァイは私に絡めていた腕をそのままに、ぼんやりとした瞳で私を見上げると、口の端を曲げました。
あまり表情の豊かでないリヴァイには珍しい、ちいさな微笑と呼べるものです。
「せんせい。おれが好きか?」
首を傾げるその様子があまりに可愛らしく、もう一度その唇にむしゃぶりついてしまいたいと思うほどでした。
「・・・・・・好きだよ、リヴァイ。好きなんだ」
私は最後の理性でそれを我慢すると、しかし込み上げてくる気持ちに嘘はつけず、また彼をギュウと、先ほどより強く抱き締めました。
リヴァイの身体は少し冷えて、濡れた肌がぺたりと私に張り付きました。
「おれも、先生のこと、好き。」
リヴァイはどこか誇らしげにそう言って、私の腹に頬を擦り付けるようにしました。
彼の清らな肌がどこまでも白く、私はそれに酔ったように、何度も、何度もリヴァイを抱き締めました。
リヴァイを、私の花嫁にしよう。
彼が男性でも、少年でもかまわない。
彼が養子縁組を自ら手続きできるようになるまで待って、結婚しよう。
それまで、あどけなく、何より清い、彼との純潔を守り通そう。
私はそう胸に誓いました。
*
その日、何故あの道を通ったのでしょう。
普段は通らない道でした。
だいたい、車通勤だった私が、あの時間にどうしてあそこを通るに至ったのでしょうか?
ランドセルを背負ったリヴァイが、ひとりで歩いていくのを、私はあの日のプールの中でしたように、追いかけていました。
ただし、息を潜め、気配を消して、こっそりと後を付けたのです。
弾むように歩くリヴァイの足取りに、妙な胸騒ぎを覚えたからでした。
煤けたような、ぼろのアパートがそこにありました。
リヴァイの家ではありません。
リヴァイは慣れた様子でアパートの錆びた外階段を駆け上がると、一室の戸を叩きました。
男が、出てきました。
まばらに生えた髭、寝癖のままの髪、よれたスウェット。
だらしのないその男の顔は、果たして、私でした。
「遅かったね。」
にやとぼやけた顔で笑うと、リヴァイを中へと促しました。
リヴァイはいつものことのように、普通の顔をして、ボロアパートの一室へ吸い込まれていきます。
私はアパートの裏に回りこむと、隣家の雨どいから物置を伝い、彼らの入っていった部屋の窓を覗きました。
カーテンは細く開いており、中の様子がほんの少し伺えます。
リヴァイは、男に貪られていました。
雑誌やペットボトルの散乱した床、のべられた薄汚い布団の上で、ランドセルも背負ったまま、リヴァイはあの奇麗な脚を開いています。
半ズボンからこぼれ落ちるような弾ける肌を持った美しい脚が高く掲げられ、男はその間に顔を埋めてます。
顔が緩く上下するたび、うっうっという切なげな声が、小さく窓の外まで聞こえてきました。
何故、私はあの道を通ったのでしょう?
リヴァイの後をつけてしまったのでしょう?
彼を愛してしまったのでしょう?
いつの間にかリヴァイのちいさな脚はしっかりと男の腰に絡みつこうとし、一緒に揺れています。
あっあっと甲高い悲鳴が響いていました。
男がリヴァイに顔を寄せると、待っていたように口を開き、舌を出して男の舌を受け入れました。
リヴァイの黒髪の上に、男の金髪が混じって散りました。
唇が何度も交わされ、溢れた唾液が口の端を伝っています。
リヴァイは何度も何度も男の唇を強請りました。
男は惜しげもなく、接吻と快楽とをリヴァイに与えました。
私は目を逸らすこともできずに、その様子をただ眺めていました。
私の愛しいリヴァイを抱くその男は、ずっと昔に縁を切った、私のだらしのない弟でした。
リヴァイは、弟の玩具でした。
暫くして激しかった動きが止まると、ゴムを外した弟のペニスがリヴァイの口へ捻じ込まれました。
リヴァイは抵抗することもなく、むしろ嬉嬉として受け入れ、弟の出すものを味わっています。
引き抜かれたそれに舌を這わせると、彼の口から白濁したものが垂れ、リヴァイはそれをまるで勿体無いかのように指で掬い、舐め取りました。
リヴァイの唇は汚れていました。
あまりに白かったあの肌は、今は、桃色に染まっています。