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3 あまおと






雨がしとしと降り続き、むうとした湿気が部屋の中にありました。
私は弟の布団に横たわっていました。

覗き見たときよりまた一段と散らかっている部屋の様子にうんざりしながらも、潔癖に片付けてしまっては気づかれるかも知れないとそのままにしました。
いつ干したのか分からない薄い煎餅布団はしけっていて、自分の体臭を濃くしたようなにおいがしています。
顔を顰めながら、持ってきたタオルをせめてと枕の覆いにし、どくどくと波打つ心臓を下にして横になりました。

今日は月曜日。
土日に髭を伸ばし、ばれないように、私は勤め先の学校を体調不良で休みました。
ズル休みなど、これまで生きてきてはじめてのことです。
少しの罪悪感をおぼえながら、私は午後に弟のアパートを訪れたのでした。


「やあ、兄さん。」

これまでだらしの無い格好をしていた弟は、私とすり替わるため、キチンと髭を剃っており髪型も小ざっぱりとしていました。
スウェットと、私のカッターシャツとスラックスとを交換して着替えると、そこに立っているのは私でしかありませんでした。

「車を借りたいんだ、いいだろ?」

「・・・・・・売り払おうっていうんじゃないだろうな。」

「まさか。ちょっといい車を運転してみたいだけさ。」

「勝手にしろ。ただし、事故はやるなよ。慎重に運転するんだ。」

「分かったよ。」

どうせ、ガソリンを満タンにして返すつもりもないのでしょう。
車のキーをちゃらちゃらと弄びながら、弟は出て行きました。

後ろ姿など、まったく見分けがつかないでしょう。
酒のにおいのしないこの目の前の弟は、鏡に映した私自身にしか見えませんでした。

「それじゃあ、ごゆっくり。お楽しみの話は、また聞かせてくれ。兄さんの奢りで酒でも飲みながらね。」

扉を閉める寸前、にやと口を歪め野卑に笑ったあの醜悪な姿。
私もリヴァイに欲望を感じているとき、あのような顔をしているのでしょうか。






雨音が強まり、まるで耳鳴りのようです。

リヴァイ。私のリヴァイ。
合唱コンクールのときの、半ズボンから伸びる脚の少年らしく、うつくしいこと。
運動会で土のついた膝小僧を手で払うその仕草。

何故あの愚弟に汚されてしまったのでしょう。
訊きたい。問い詰めたい。

私の心は、嗜虐のとろ火にチラチラと揺れながらも、どうするか決めかねていました。

弟の姿で蹂躙の限りを尽くし、みだらなその身体を暴いて、心ひそかに嘲笑い捨ててやるのがいいか。
または、弄んだ後に種明かしをして、罪悪感でぐちゃぐちゃにしてやるのがいいか。


迷いながらも、これからリヴァイの幼いからだにしてやることを想像し、私の股間には血が集まってきていました。



「おじさん。」

ハッと息を呑みました。
リヴァイです。
無感情な声で呼ばわった後、こんこんと戸を叩いています。
布団から出て、こちらから開けてやるべきでしょうか。
しかし勃起したままのあそこが気になった私は、それが出来ないでいました。

すると、がちゃとノブのまわる音がして、リヴァイの入室する気配がします。
雨で濡れ脱ぎにくくなっているのでしょう、靴を脱ぐのに多少難儀をしているような音でした。
ランドセルを置いて、濡れた靴下を脱いで。
流しで手を洗ったリヴァイが、コップに水を溜め、ごく、ごくと嚥下する音まで、緊張で尖った聴覚で聞き取ることができました。
ぷは、と途中息を継いで飲み干してしまうと、水で漱ぎ、流しに置いたようでした。

私はファースト・キスを捧げたあの日に、リヴァイに教えた、クロールの息継ぎを思い出しました。
魚のように滑らかに手足を動かし、途中、ぷは、と首を動かしてする、あの呼吸。

あの時のリヴァイの青白さが目に浮かび、しかしそれはすぐにかき消されました。

ちいさな足が枕元をまわり、しゃがみ込むと、それは布団に入ってきました。
ぴたりと私の、いえ弟になり替わっている私の背中に付くと、リヴァイはふう、と深い息を吐きました。

「・・・・・・おじさん、寝てるのか。」

起こしてはいけないと思ったのか、小声でそう呟くと、「・・・・・・おれも、少し寝る」と私の腰のあたりに手を回しました。
小さな手でした。腕も、細いものです。まるで、小鹿のようなのです。
その腕が一度きゅうとしがみ付くと、また力を抜きました。
しばらく私は恐ろしさから、身体を硬くしていましたが、その内にリヴァイは寝入ってしまったようでした。

すう、すう、と寝息が聞こえてきました。
リヴァイは、弟の布団ですっかり気を許し、眠れるようなのです。
身体の力を抜き切り、その小動物のようにたおやかな腕を巻きつけ、弟の身体に預けることができるのです。

最奥に男を受け入れ、いやらしく喘いでいるよりも、それは何よりの重罪であるように思われました。

私ではない男に、こんなふうに心を許すなんて。



私はゆっくりと、リヴァイを決して起こさぬようにじりじりと動き、振り向いて彼の正面に居直りました。

間近で見るリヴァイの顔は端整で、つくりものめいて人形のようでした。
艶々と黒く長い睫毛が時たま、ふ、と震えるのを、怖いような気持ちで眺めました。
桃色に色づく小ぶりで可憐な口唇は少し開いていて、そこから貝殻のようなやさしい白さの歯が覗いていました。
半袖のシャツの襟元は、ひとつだけ釦が外されており、喉仏のまだ無いなだらかな首が伺えます。

私の息は、あのときの弟のような、けものの吐息をしていました。
はあはあと荒いその息はリヴァイの青白い肌を、至近距離で湿らせました。

襟元に鼻を寄せ、クンと嗅ぐと、石鹸と、湿っぽい汗のにおい。
すうすうと、可愛らしい寝息は小鳥のよう。

ああ、リヴァイ。私のリヴァイ。男に汚されて、なお、こんなにも清らかな呼吸をしている。
あどけない寝顔は、無知の白さです。
暴けば、どうでしょうか。
滅茶苦茶に蹂躙し、男でも女でもない、けものの快楽に突き落とされたとき、どのような息を吐くのでしょう。

その想像はたまらなく、ほんの少し残っていた理性は突風に晒された雨粒のように弾き飛ばされてしまいました。

リヴァイの顔の横に手をつくと、私の手のひらの中にすっぽりと納まってしまいそうな小さい顔に、
私の呼吸は一層荒く、股間は痛いくらいに勃起していました。

リヴァイが、んん、と身じろぎし、私は驚いて少し身体を離しました。
「ん、ぷは。」と、またクロールの息継ぎのような仕草で、リヴァイは息を吐き出しました。
あの日のクロールの息継ぎ。
あの日のリヴァイの白さ、清らかさ。

気づけば、リヴァイの顔に、濡れてひかるものがあります。
私の涙でした。
気づかぬまま、私はただ泣いていました。しずかに、泣きました。
ぱたぱたとそれはリヴァイの頬を濡らし、ひとしずく、口に入りました。

ああ、リヴァイ。君が、誰にも穢されぬ純潔のまま、ここにいてくれたのなら。
私は嬉しさで泣いたでしょう。君をやさしく抱いたでしょう。

けれど、リヴァイは弟の布団にまるで自分のもののようにくるまり、すっかりと馴染んでいるのです。
清らかな呼吸で、この汚い部屋の湿度を少し上げているのです。

外では雨がざあざあと降っているはずでした。
けれど私の耳には何も聴こえません。

聴こえてくるのは、リヴァイの呼吸、そしてリヴァイの頬に落ちる、私の雨の音だけでした。

























 

雨
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