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Existenz-Beweis des Gottes.






プルルルルと電子音が鳴って、その声は耳に届いた。
時代か世界か次元かふたりを隔てる何か、すべての距離を越えて。






「もしもし。」
短い一言だった。けれどすぐに分かった。繰り返し繰り返し、聴いた声だった。

「…エルヴィン?」

「…リヴァイか?」
掛け間違った携帯電話の向こう、彼が名を呼んだ。
思わず、かつてそうであったように只返す。「ああ、エルヴィン。」と。

エルヴィン。
繰り返し繰り返し、口にした名前だった。

「…お前なのか?エルヴィン=スミス?」
「そうエルヴィンだ。リヴァイだな?確かか?」
「ああ、リヴァイだ、」

「…ああ、嘘だろう、こんな!俺を見つけたのか?どうやって?」
「いや、偶然だ、エルヴィン。たまたま他の番号に掛けようとして、それで。」
妙に目が冴えて眠れず、公園を一周しようと出てきたところへ、名刺入れを拾った。
意匠の凝った革細工で、何度もワックスを掛けた跡から、愛用して使い込んでいる様が見て取れた。
つい先ほど通った時には無かったから、落とした人間はまだすぐ近くに居るかも知れないと、携帯のボタンを押したのだ。
Mから始まる何の変哲も無い名前と携帯番号。
打ち間違ったと気づいた時には、繋がっていた。

「それが、まさかお前に掛かるとは、ああ」神さま。
かつて存在を知らず、今生では信じていなかったものに、気づけば無心に呼び掛けていた。嗚呼、神さま。

「居るんだな?そこに?生きてるんだよなお前は。なあ、答えろよエルヴィン、」
携帯を持つ手が震える。そう言えば電話を掛けようと手袋を外していたのだ。悴んで指が痛い。
手袋は深い緑色で、それに似たケープを被っていた事もあったなとふと懐かしくなって買った手袋、何故そんなつまらないことを今思い出すのか。
混乱している。手袋なんて。ケープの緑色なんて。
何がどうなってこうなったかは全く分からないが、ああ、そんなことは些細なことだ。
生きている。電話の向こうにいる。彼が。エルヴィン=スミス、かつて仕え、かつて愛した男。

「居るよ、ここにいる。生きてる。嘘みたいだ、リヴァイ!
 リヴァイ、あんなに呼んでいたのに、この世界で呼ぶのは初めてだ。ああ、おかしいな」
確かにそうだった。初めて、エルヴィンと口に出した。
夢の中では、何度も呼んだ。
聞こえないと分かっていても呼ばずには居られなかった。

「エルヴィン、何処に居るんだ?これは国際電話じゃない。ドイツ国内だ。何処に住んでる?」

「ベルリンだ。ミッテ区。ブランデンブルグ門の前の、今ツリーのすぐ近くだ。オフィスがあって。お前は?近いか?」
この国の東西を分けていた壁がかつてあった場所だ。
分離と統合の象徴、よりによってそんなところに。時代が時代なら、幾つもの壁で隔てられていた土地。不思議な気持ちになる。

「ミュンヘンだ。」
「ミュンヘン?馬鹿に近くだ、待っていてくれ車を取ってくる」
「馬鹿はお前だ、600kmはある。こっちも勿論トラムは止まってるし、寝台列車にこれから乗れそうもねえよ。車も俺は持ってない。」
夜は更け、時計の短針と長針はぴたりと合おうとしている。交通手段は幾らも無い。

「600kmが何だって?離れてた時間と居ないものだと思っていたお前までの全部の距離と比べればそんなもの」近過ぎる。
語尾は吐息で掠れて、スピーカから耳を伝って心臓へじんわり溶けた。

「エルヴィン、」
「会いに行くよ。今すぐにだ。兎に角、車に乗る。昼には着くだろう。明日は休みだし、休みじゃなかったなら休んでた。
 近くなったら掛け直して詳しい住所を訊くから、寝てていい。仕事があるなら待ってもいいが、キャンセル出来るものなら正直して欲しい。会いたいんだ。」
そう畳み掛けられて、思わず詰めていた息が出る。ただ会いたい、そう言ってくれたことが何より嬉しかった。

「…そんなだったか?そんな、熱烈な勢いで迫って来るような奴だったか。」
「自分に素直になる事にしたんだ。随分我慢したからな。それに、前だってそうだったさ。お前を押して押して口説き落とした。」
落としたのは地獄だったかも知れないが、と言うと黙ってしまう。
恐らく電話の向こうで彼は瞼を伏せている。
その瞼を縁取る金色の睫毛が作る、影の形まで覚えている。

「俺が選んだ事だ、エルヴィン。その選択を、お前にだって否定する権利は無い。」
望んで踏み入った戦場だった。いつでも隣には彼が居たし、仲間が居た。他に何も望みなど無かった。
戦友たち、彼らを助ける為の翼、隣に居続ける為の力。エルヴィンに付いて来たからこそ、得られたすべてのもの。
失ったものより、手に入れたものの方がきっと多くて大きい。

「…話したいことが沢山あるよ。」
「俺もだ。」
「前のことも、今のことも。」
「ああ。」
「会えたら、抱き締めても?」
「ああ。」

お前の傍に居たかった。
お前の傍に居なかったこれまでの人生のことを、もう思い出せないくらい。
鮮烈だ、お前って男は、エルヴィン。

「お前の今の歳も職業も家族も恋人の有無も外見も名前も何もかも訊きたいが、急ぐよ。一旦、切る。
 向かう途中で死んだら死んでも死に切れない。今度こそ祟って出てお前の傍をウロウロすることになる。」
「ああ。クソ安全運転で来い。休憩も適度に取れ。どうせ寝れやしない、何か食うものを作って待ってる。グリューヴァインは?」
「大好物だ。材料があれば、ケーキも頼むよ。」
「ケーキ?シュトレンならあるが」
「お前のケーキだよ。ああ、日付を越えた」

電波とかつてあった数々の壁の向こう、たとえ顔が違ったとしてもきっと、昔と変わらない表情で彼は笑っている。

「誕生日おめでとう、リヴァイ。」

 また、すぐ後で、と結んで通話は切れた。

「…待っててやるよ、クソ遅刻野郎。今度こそ、すぐだ。」すぐに会える。

クリスマスツリーが公園の広場に立っている。
疎らに付けられた赤い紐と散らばった電飾が、普段なら陳腐で安っぽく見える筈なのに、不思議と厳かに、清らかなものに見えた。


神さま。





 

クリスマスツリーのライトアップ
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