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HUG




「次の方、どうぞ。」

感じの良い笑顔を浮かべた女性アシスタントに呼ばれ、私はその部屋に入った。

第一診察室、と書かれたプレートの扉を引くと、そこは青い部屋だった。
壁や床はくらい群青。さながら深海だ。
カウンセリングでのリラックス効果を狙ったものだろうか。
カーテンや診察台のリネン類は薄いみずいろで、彼が羽織っている白衣も、同じ色をしていた。

「エルヴィン・スミスさん、はじめまして。セラピストのリヴァイ・アッカーマンだ。」

著名なカウンセラーであり、一流のセラピストでもあるはずの彼は、ニコリともせずにそう言った。




HUG



はじめに気がついたのは、私ではなく、部下のミケだった。

「……おい、エルヴィン。言いにくいが、お前の最近の酔い方は度を越してる。」
病的だ。苦々しい顔でそう言うと、ミケは名刺を取り出した。

「腕の良いセラピストらしい。カウンセリングもしてるそうだから、一度話をしてみるだけでも、どうだ。」
薄いブルーの名刺を頼って辿り着いたのが、この深海のような部屋だった。



「……なるほど。酒乱、というよりは、抱きつき魔だな。」

「……はい。私自身に記憶は無いのですが、近頃は連れにだけでなく、他の客や通行人にも抱きつきにいってしまうようです。」

「話し方は楽にしてくれていい。俺は医者じゃねえ、飲み屋で隣り合わせたとでも思って喋ってくれ。」

姿勢も楽に、と彼が促すので、私は少し身体の力を抜いた。

「……ギリギリで理性は働いているのか、女性にはしないんだ。していたらさすがに、もう犯罪だ。だが、この先は分からない。酒を飲まなければと思うんだが、付き合いもあって、それも難しい。」

「そうか……」

難しい顔をしたセラピストは、よりいっそう苦々しいような表情を深めて、私の悩みに耳を傾けている。
ちいさく尖った顎へ指を当ててしばらくのあいだ考え込むと、徐に立ち上がった。

「とりあえず、してみるか。」

彼がゆっくりと、みずいろの白衣を肩から落とす。
その項があまりに白いので、私は、何故だかいけないものを見てしまったかのような気持ちになり、ソッと目を逸らした。
整理整頓のキチンとされた室内はやはり彼の性格からのようで、白衣はピッチリと畳まれ診察台の横のカゴヘ納まった。

「隣に来い。」

彼はちいさく細い身体を診察台の上へ載せると、ポンポンとその横を叩いて私を誘った。

「上着を」

スーツのジャケットを脱ぐよう促され、彼の視線のある中、上着を脱いで、同じくカゴへ入れた。

彼がブルーのネクタイを緩めると、ぷっくりとした喉仏が露わになる。

「ん。」

指をこちらのネクタイの結び目に差し入れ、緩められる。
診察台の上で隣り合っている膝は、もう触れている。
無愛想なようで、距離の詰め方が上手いと思った。
パーソナル・スペースに入り込まれても、不思議と嫌悪感を感じない。
そういう才能があるからこそ、ハグ・セラピストという職で身を立てることが出来たのだろうか。

様々なことを考えている間に、彼との距離はもう、殆どゼロに近い。
片方の太腿はスラックスの生地越しでも、もうぴったりとくっ付いている。

「はじめは、軽くでいい。だんだんと慣れろ。少しずつ時間を長くしていく」

おら、来いよ、と、まるでセラピストとは思えない口調で促され、私は彼を抱いた。
遠慮がちに背中に手を回すと、彼の小柄さがよく分かった。

彼も軽く、という感触で、私の背中へ触れている。

温かい。

ふたりのあいだの距離を不思議に惜しく思って、私は彼を、思い切り抱き締めてしまった。
ぎゅうう、と強く、腕を締める。
彼の頭が私の首元へ触れ、頬が当たり、ゆっくりと馴染んでいく。
凹凸のようにぴっちりと、隙間無くくっついてしまうと、生れたときからそう作られていたように、彼は私に馴染んだのだ。

「どうして……」

どうして涙が出るのだろう、と私は続けることが出来なかった。
溢れた涙は眦から頬を伝い、首へ、そして彼の頬へと流れていった。

「いいんだ。」

泣いたらいい、今度は好きなだけ。と彼は言った。
どういう意味だ、と掠れ声で聞き返せば、俺も分からない、と言う。

「分からねえが、そう言うべきだと思った。」

そう言いたかった、とリヴァイは言った。
私の首に温かいものが流れたが、それが私の涙か、彼の涙か、まるで一つになったように身を寄せ合っているから、分からなかった。
ただ、すべてが温かいものに包まれていた。


深海の底で、私たちは抱き締め合って、ただじっと、じっとしていた。
ずっとそうしたかったかのように、私たちはそうしていた。












 

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