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おくりもの

エルヴィン・スミスの前をリヴァイが歩いている。

珍しいことだ。
リヴァイはだいたい、上官であるエルヴィンの後ろを歩く。
リヴァイは兵士としての本分や、守るべき規律を意外にも重んじる男であった。エルヴィンがそうした。
ところが今日はどうしたことか、エルヴィンの前を、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていく。

「リヴァイ」

「何だ」

「そう急がなくてもいい」

「急いでいるつもりはない。ただ、先が気になるだけだ。」

そうか。とエルヴィンは答え、詰まっていた息を吐き出した。

「高い場所があるか」

「見る限り、平地が続いてるな。クソ」

数十回目のクソ、をリヴァイが口にしたが、本人はそう悔しそうでもない。

「全体が見渡せる場所があれば、勿論いいが」

「あるんならな。」

そんな場所が。


目が覚めたら、硝子の森にふたりは立っていた。

目が覚めたら、といっても、エルヴィン・スミスにはそれより前の記憶がない。
ここまでどのようにして来たのか。ここは何処か。
あるのは、兵団の宿舎で眠りについた記憶だけである。
リヴァイとは、その日の夕方行われた定例報告会で、事務的な会話をしたのが最後だった。
物資は足りたか。ああ。
明日は足りるか。問題ない。
それだけの、会話だった。

とにかく、目が覚めたら、硝子の森に立っていた。

巨大樹の森ほどの、背の高い木々が無口な顔を押し並べて立っている。
太い幹も、細い梢も、広がる葉もすべて硝子で出来ている。
透かせばあちら側がそっくりそのまま見えるような、透明感の高い硝子は質のいいものだ。

「この枝一本、手折って王都の豚に売りゃあ、いい値がつく。」

「そうだろうな。是非持ち帰って何かの足しにしたいが」

つるつると幹を撫でるリヴァイの顔はいつもどおり、不機嫌そうだ。

「持ち帰るにも、ここが何処だか分からないのなら意味がねえ」

「それはそうだ」

ふたりの装備は何もない。
格好はいつもの兵団服であるが、立体起動装置はない。
二人ともそれぞれ、日用に使う小刀がポケットに入っているくらいだった。

不思議なことに、草は一本も生えていない。
いや、生えているのだが、それもまた硝子でできている。
足元の砂か土のようなところでさえ、手に掴めばさらさらきらきらと光っているのだった。

見渡すにも、この土地には高低差はないようであるし、
立体起動装置がない以上、木の上に登ることもできなかった。
(そもそも装置があったとしても、相手は硝子であるので、文字通り歯が立ちそうになかった。)
透き通る木々は光を反射して、明るく照らしてはくれても、方角が分かるようなことはなかった。

太陽は、昇ったままだ。
ぎらりと強い光を放ち続けたまま、空の真ん中に陣取っている。

如何考えてもおかしい状況だった。

そして森の中を、ずっとふたりで歩いている。

リヴァイが前をひょいひょいと行くのを、エルヴィンは不思議な気持ちで眺めていた。

「おかしな気持ちだ」

「何がだ。」

数歩先をリヴァイが往く。
エルヴィンは急ぎもせず、しかし逸れないように、ついていく。

「いつもと逆だな、と思ってな」

「ああ」

リヴァイは振り返りもしない。

リヴァイは小柄だ。
身長のわりに体重はあるが、それでもエルヴィンより体格に劣る。
しかしその分、持久力があるのかも知れない。

照りつける太陽に汗を滲ませていたエルヴィンは、少し早足で追いつくと、涼しい顔のリヴァイをしみじみと眺めた。

「部下に前を歩かれるのは、不愉快か?団長さんよ」

「いや、それは別に。非常事態だ、お前が気を配って先に歩いてくれているのは分かっている。ただ」

「ただ、何だ」

「いや。お前はわりに、歩くのが早かったんだな。気づかなかった」

リヴァイはちらりとエルヴィンの方を見ると、また前方に目線を向けた。

「そうかよ。」

辺りの景色は代わり映えしないままだ。
同じような木、同じような森。

変わらない風景なのはふたりも同じはずだった。
エルヴィンが歩き、リヴァイが従う。
それが逆になり、また横に並んだだけで、随分印象が違うように見えた。

歩くときに睨むようにするリヴァイの目つき、(少し目が悪いのかも知れないと思ったが、これは三白眼の効果だろう)
体力をなるべく温存しようとしてか、無駄のない手足の運び、(これは登山演習などでよくやっているものと似ている)
さらさらと黒い前髪が揺れるのに目が行くが、リヴァイ自身はそれを気にしていない。
時間が経つにつれ、リヴァイの額や首元にも玉のような汗が浮き始めた。
意外に汗はかくようで、その内シャツの襟刳りはぐっしょりと濡れはじめ、クラバットを緩めた。指は、細いが節くれ立っている。

そして意外に早い足取り。しかし距離が開き過ぎると、それをほんの少し緩めている。
その度に、ちらとこちらを振り返る。
その目つき、眼の色を、はじめて知った。

長年手元に置いていた、リヴァイという男はこんなにも、人間だったのかと。


「リヴァイ、休もう。」

「俺はまだいい。お前はここにいろ、少し周りを見回ってから……」

「いや、いい。座れ、疲れただろう」

リヴァイは軽く目を見開いて、「……ああ。」と言って座った。

「……お前は俺を化け物か何かだと思い込んでるとばかり、思ってた。」

「そんな馬鹿な」

笑ったが、少し当たっていた。
リヴァイが意外に汗をかくのも、歩くのが早いのも、初めて知った。

そしてどうやら、労われるのに慣れていないからか、照れている様子すら見ることができた。

「不思議だな。こんなところで、お前と二人きりなのは。」

「二人でも何でも、こんなところは、不思議に決まってる。」

リヴァイは、膝を抱くようにして背を丸めている。

「森は硝子でできてるし、太陽は沈まねえ。水もない。食料も、勿論ない」

「不思議以外の何物でもないな。」

暫く、ふたりは黙っていた。

エルヴィンは思った。

このまま歩き続けて、どこにも抜けられなかったら?
助けも来なかったら?
水もない、食料もない。

「うん、絶望的だな。」

「簡単に言うな、お前は。」

でもそうか。お前には、楽しいのかも知れないな。
リヴァイがぽつりとこぼした一言を、エルヴィンはよく聞き取れなかった。

「何だ?」

「エルヴィン。俺を人間だと、信じてくれるか。」

俺を人間だと。言い切ってくれるか。

「何を言ってる?お前は、人間だろう」

血の通った、普通の人間だ。
「それは、少しは頑丈だし、身体能力はずば抜けている。化け物じみてる、と思ったこともある。
 けれどお前は、呼吸もするし、汗もかく、誰かが死んだら泣ける、真っ当な人間だ。」

「エルヴィン」

「お前を過信し過ぎているフシが俺にあったのなら、それは済まなかった。」

お前は、普通の人間だよ。
エルヴィンが言うと、リヴァイは立ち上がった。

「エルヴィン。」

立ち上がったリヴァイの姿は白いかたまりになって、すぐにほどけた。
無数のうさぎが、エルヴィンのまわりに溢れた。
ふわふわとした毛玉のような、まっしろなうさぎだった。

「俺の血を飲んだらいい。」

「俺の肉を食べたらいい。」

「俺のナイフはそこにある」

「お前にやろう」

「全部やろう」

「俺はお前の歩く道を行こう」

「共に道を探そう」

うさぎの口からそれぞれに、リヴァイの声が聞こえた。
エルヴィン、エルヴィン。

お前が信じる道を、俺も探そう。
だからお前は信じていてくれ。俺の身体がうしなわれても。
俺が人間だと。

うさぎの囁き声はざわざわと風のように森に広がり、エルヴィンは思い知った。

ああ。俺はリヴァイに好かれていたんだ。




目が覚めたら、宿舎のベッドで寝ていた。

当たり前だ。宿舎で眠り、起きたのだ。
至って普通の、いつもの自室だった。
代わり映えのしない景色。
硝子などひとかけらもない。

「……エルヴィン。起きているか」
コンコン、と叩く音がして、扉越しにリヴァイの声がした。


ざわざわとしたうさぎの囁き声が一瞬耳の横を吹き抜けて、すぐに消えた。








 

冬の森
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