お祝い
「なあ君、うちにケーキがあるんだ。良ければ食べていかないか。」
知らないおじさんがそう声を掛けてきたのは、日が暮れようとしていた午後の公園でした。
ずいぶん背の高くてだらしの無い格好をしたおじさんでしたが、その大きな目がまわりの光を映しているのでなく、おじさんの内側から光っているように見えて、不思議に思ったリヴァイくんはつい「いいよ。」と答えてしまいました。
じゃあ、行こう。とおじさんが歩き出したので、リヴァイくんはその後に付いて、公園を出て行きました。
「やあいらっしゃい。散らかっていてすまないね。怒るかな?」
「別に。……いや、ちょっと、結構、散らかってるな。片付けるか?」
「ありがたいが、またにしてくれ。ケーキ、切ったほうがいいかな?」
おじさんの家は公園の近くのアパートで、部屋に入ると少し埃っぽいにおいがしました。
散らばっているのは殆どが厚みの違う様々な本で、リヴァイくんは座るのに何冊もの本を端へ避けないといけませんでした。
「切る?」
「ああ、少し大きくて。」
一年中出しっ放しだろうと思われる、炬燵の上へおじさんがケーキを置きました。
丸くて真っ白な、ふたりにはどう見ても余りそうな、大きなバースデーケーキでした。
「誕生日のケーキじゃねえか。おじさん、これわざわざ買ったのか?」
「うん、まあ、そうだな、貰ったんだよ。ケーキ屋さんと友達なんだ。たまたま、余ったんだって。ケーキ、嫌いだったかい?」
おじさんはモジモジと身動ぎすると、フォークとスプーンを卓の上へ置きました。
リヴァイくんは、本当はケーキは大好きでしたが、前にイザベルに笑われたのを思い出して、「別に。ふつうだ。」と答えました。
「そうか。良かった。」
「……もし、余ったら、母さんに持ってってもいいか?母さん、イチゴのケーキ、好きなんだ。」
遠慮がちにそう訊ねたリヴァイくんを、おじさんは一瞬目を見開いてジイっと見つめた後、目尻が垂れてニコと笑いました。
「優しいな。」
「……別に。普通だろ。」
「そうだな。普通だ。」
ニコニコとするおじさんに、リヴァイくんは少し恥ずかしくて目線を逸らすと「早く切ろうぜ。」と促しました。
「そうだな。砂糖菓子は?砂糖菓子の恐竜も、家に連れて帰るかい。」
「……ありがとう。おじさんに一個やるよ。何の恐竜だ?ティラノサウルス?」
「リヴァラプトルだよ。」
「え?」
リヴァラプトル。小型の肉食の恐竜で、化石はどれも首に長い葉を巻いているんだ。襟巻きみたいにね。
そんなふうに話すおじさんはとても楽しそうで、リヴァイくんはこのおじさんが、近所ではホラ吹きおじさんと呼ばれている人だ、と気づきました。
人間の何倍もある巨人と、それと戦うために空を飛んだ人間たちの話や、居もしない空想の動物の話。
大学というところでそんな話をしていたおじさんは、いつの間にかそのお仕事を辞めて、この辺りをぶらぶらと歩くようになったのだと町内会の見回りをしているおばさんが言っていました。
あのおじさんには、危ないから近づいてはいけないよ。
けれどリヴァイくんには、おじさんが頭のおかしい人にはどうにも見えないのでした。
はじめて会ったはずの人なのに、突然声を掛けられたのに、それが当然のことのようにさえ思えました。
「ハッピーバースデーを歌うか?折角だから。」
楽しそうに蝋燭に火をつけたおじさんの大きな瞳はやはり、蝋燭の炎でなく、瞳の奥、身体の奥の奥から、輝くもので光っているようにリヴァイくんには見えるのです。
「誰の誕生日だよ。」
「今日生まれたたくさんの人たちの。
今この瞬間に、産まれたたくさんの子どもたちの。さあ、歌おう。」
ハッピーバースデートゥーユー。と歌うと、蝋燭の火はチラチラと、しかし意外なほどに力強く、消えずにそれはふたりの間に揺れるのでした。
リヴァイくんの瞳に映るひかりは、蝋燭の炎でしたでしょうか。
それとも、おじさんの瞳に輝くものが、移って煌めいたのでしょうか。
「なあ、リヴァイ。お前の夢を聞かせてくれ。誰に笑われる話でも、俺は聞くから。お前が笑わないでいてくれたように。今度は俺が聞くよ。」
やさしくそう呟いたおじさんは、懐かしそうな顔で眩しげにリヴァイくんを見つめました。
リヴァイくんは、どうして名前を知っているのか、訊ねようとして、やめました。
そうして蝋燭の火を、フッと吹き消しました。
暗やみがすっぽりとふたりを包んでしまいましたが、何もこわいことなどないと、リヴァイくんにはそう思えたのでした。