しぶり指さそい舌
「何をしているんだ、リヴァイ。」
エルヴィンはたっぷり三十二分、利かないでいた口をやっと開いてそう言った。
「今日はいつもより早えな。エルヴィンよ」
リヴァイは待つにもすっかり慣れた顔で、弄んでいたエルヴィンの手から自身の手を離した。
この三十二分は、書類仕事に没頭している右手でなく、時たまトントンと机を叩く左手の指を追いかけることから始まった。
最初は、動く指を捕まえて握ったり離したりしていたが、エルヴィンがやっと気づいたのは、ちょうど手の甲を撫で始めたときだった。
「いつから居た?」
「三十分ほど前からだ。お前こそ、アッチの世界に飛んでどれくらいになる。」
「この書類の山に取りかかり始めたのはまあ、二時間前くらいか。しかし随分な物言いだな、人を阿片中毒者みたいに。」
「同じ事だ。働いてないと死ぬのか、てめえは」
エルヴィンが二時間熱心に取り組んでいたのは兵団の運営における雑務に関する資料と報告書、
そして苦しくない時の無い兵団の懐を左右する貴族や方々の団体への融資を請うためのものだった。
リヴァイに言わせるところの仕事中毒であるエルヴィンは、放っておけばいつまででも執務机に噛り付く生き物になるのだから、
時たまこうして声を掛けに来ないと、時間も忘れ、周囲の声も届かなくなってしまうのだ。
まったく厄介でウンザリする性質の上官を持ったとリヴァイは嘆息して見せはするのだが、文句を挟みながらも体調の心配や世話を焼きに何だかんだとやって来る。
リヴァイは厄介な上官であるエルヴィン・スミスを愛していたし、その悪癖すらも、可愛いものとしてすっかり受け入れてしまっており、しかもそれをエルヴィン自身に知られ、また受け入れられていた。
特に何の告白があった訳ではないが、つまるところ二人はわりと仲の睦まじい恋人どうしなのであった。
「働かないと、人間は生きていけないだろう」
「息が止まるまで仕事をするのは、さすがに病気だ。寝ろ。今すぐ、速やかに。」
じゃねえと、背負って部屋まで連れて行く。
リヴァイはそう凄みつつも、左手を弄ぶのをやめない。
詰め寄った顔こそ離れたが、指でずっと手の甲を撫でている。
エルヴィンはしかし書類にサインする手を休めず、されるがままになっている。
するとリヴァイは撫でていた指を丸め、爪を立ててカリカリと引っ掻いた。
健康を案じた忠告を素直に聞かないエルヴィンに、いい加減にしろと思い知らせてやることにしたようだ。
引っ掻かれるのを咎めないでいると、痺れを切らしたのか爪を立てたまま、ギュウと手の甲を抓られてしまった。
「痛いよ。」
「痛いか?」
勿論加減されているとはいえ、トリガーを扱う為に多少伸ばされた爪は女のように薄く尖ってはいないが、それなりに痛い。
「痛いさ。」
それでも目線は書類上から外さぬまま、エルヴィンはしずかに抗議の意を述べた。
リヴァイの溜め息がひとつ、フウと聞こえたそのすぐ後に、手に温かいものが当てられた。
やわらかく、ほんのりと温かいその感触に、ふと顔を向けると、その正体はすぐに知れた。
リヴァイの小さく、薄いくちびるが左手の中指に触れている。
「本当にか?」
触れずに呟かれた言葉であったのに、皮膚から直接耳へ注がれたような感覚があった。
とても近い。
「また痛みが?」
生暖かい息が指の毛にかかって、くすぐったかった。
ジッと見詰めるエルヴィンの視線を感じながら、リヴァイはてらと赤い舌を出してそれを舐め上げた。
妙に熱い舌先が、ぞろりと這っていく。
ぬるつくそれは、もったいぶる様な時間を掛けて、やっと数度往復すると、また息を残して少し離れた。
「・・・・・・いいや。」
「だろうな。」
やっと絞り出したエルヴィンの返事に、分かりきっていたというふうにリヴァイも答える。
ふ、と笑うように息を吐き出すと、リヴァイは前歯で指の毛を数本食み、ほんの少し顎を上げて引き抜いた。
「いっ、リヴァイ!」
一瞬のことだが針先で刺すような小さな痛みに抗議の声をあげると、リヴァイはもう面白くもなさそうな顔で、エルヴィンの上着を取り上げ立ち上がっている。
「いい加減にしろ、エルヴィン・スミス。この仕事きちがい。・・・・・・続きは部屋でしてやる。付いて来ねえと、今度はこの部屋に鍵を掛けて、小便にも立てなくしてやるからな。」
上着をひらひらとさせながら部屋を出て行く後ろ姿に、エルヴィンは一度溜め息を吐くと、羽根ペンと書類を盛大に宙へと放り投げた。
散らばって落ちるのはそこそこに重要なものだった気もしたが、エルヴィンはそれらをすっかり忘れてしまうと、大股で扉へ向かって行った。
あとに残されたものはつまらない紙、そればかり。