アイス
最近調子の悪いエアコンはブブブブと振動が煩い。
こんなに小さなことでイラついてしまっているのは、ここのところの仕事運が悪いせいだ、とリヴァイは舌打ちした。
運など信じちゃいないが、とリヴァイは思いながらも、運としか言いようのない小さなミスの連続で、リヴァイはすっかり参っていた。
深夜のオフィスに一人きり。
緩めてぶら下がっていたネクタイを引き抜くと、隣のデスクに放り投げた。
ハァ……と溜息を吐く。
目が疲れたな、とリヴァイは目頭を押さえ軽く揉んだ。
目の奥の鈍痛が少し和らぐ気がする。食事は20時頃におにぎりを齧ったきりだ。
コーヒーでも入れようか、イヤなるべく早く終わらせて帰りたい、と悩んだその時、ヒヤリと冷たいものが首筋に当てられた。
「なッ……!」
「お疲れ。」
振り向くとそこに居たのは、別フロアの会社に勤めているエルヴィン・スミスだった。
これから帰るところなのか、ジャケットを小脇に抱え、鞄を下げている。
右手に握られていたのは、下のコンビニで買っただろう、袋入りのアイスだった。
「冷てえな。……びっくりしただろうが。お前も居残り組だったか?」
「さっきまではね。リヴァイ、クマが出来てる」
「いつもあるだろ」
「今日はちょっと……酷いな。ちょっと休んだ方がいい。アイス買ってきたんだ。バニラとチョコどっちがいい?」
エルヴィンはニコと笑ってアイスを差し出した。
リヴァイは小さな声で、クソ、イケメンめ、と呟くとバニラバーを受け取った。
「今日も残業か?お前の言うところの、クソ野郎な上司はどうした?」
「とっくに帰った。」
「またお前に丸投げか。……リヴァイ、散々言ってるが、転職を考えた方がいい。」
リヴァイは彼の言うところの『クソ』な『クソ野郎』の顔を思い出すと、イライラした手つきでアイスの包み紙をめくった。
「今俺が抜けたら、うちの班の人間は全員過労死するな。無理だ」
「全員で転職したらいい。君のチームは優秀だろう?」
「そんな都合の良いトコがあるかよ。……うめえな、コレ」
「だろう?ここら辺じゃ駅北の○マートにしか無いんだ」
「わざわざ買いに行ったのか?……それはご苦労様なこった。」
なんてアイスだ?と袋を見ているうち、エアコンの風を受けてリヴァイのアイスが溶け出してしまったらしい。
垂れそうだ、と思った瞬間、リヴァイの上にエルヴィンの影が落ちた。
「え、」
リヴァイは動けなかった。固まったまま、ベロと大きな舌が伸びてアイスを掬い取るのを見ていた。
「え、エルヴィン、」
何が起きたか理解したリヴァイは次の瞬間、真っ赤な顔でエルヴィンを呼んだ。
エルヴィンはまた、人を殺しそうな笑顔をリヴァイへ向けた。
「ウチへ来たらいい。」
「は、……ウチって、お前の会社か?」
「そう。」
「お前に人事権が?」
「あるさ。今日社長になった。お前が欲しくて」
「は?」
エルヴィンはパチンとウインクをすると、固まっているリヴァイの手を掴み、自分のもののようにアイスに噛り付いた。
「うん、やっぱり美味いな。買って来て良かった。リヴァイ、返事は明日でいい。また明日も残業だろう?」
「あ、ああ」
今全世界で『鳩が豆鉄砲を食らったような』顔を探したら、一番当てはまるのは多分今の自分だろうな、とリヴァイは惚けたまま思った。
「また明日、ここで。」
お疲れ、流石にそろそろ帰れよ、とエルヴィンは手を挙げると、やって来た時のように突然に帰って行った。
リヴァイの手には、殆ど溶けたアイスの棒が握られている。
壊れかけのエアコンはリヴァイを笑うように、ブブブと鳴っていた。