ピザと皿と男と男
やあ来たね、とピザ配達員のエレンを迎え入れたのは金髪の男だった。
みすぼらしいアパートだった。
安い早い不味いで有名なエレンのバイト先は、よくそのアパートに配達をしていた。
住人は貧乏人が多い。
安価で大きなピザをモソモソと食べる味気ない生活がお似合いの人間がここには多く暮らしていた。
しかし一見して男の身形はパリッとしており、質の良いものを着こなしている感じがあった。
アパートと不釣り合いな印象だ。
まあそんな事はどうでも良い、詮索などするだけ無駄だ。
ピザを渡し、料金を受け取るだけ。
それだけの単純な仕事なのだから。
「……どうも、ブラウン・ピザです。アンチョビとハワイアンのハーフ&ハーフをお届けにあがりました」
「どうも。済まないが財布を取ってくるから、少し待ってくれないか?外は雨だ、入ってくれていい」
確かに、冷たい雨に打たれてバイクに乗って来たことで、体は冷えていた。
お言葉に甘えて、と玄関へ足を踏み入れると、薄暗い室内に白いものが見えた。
敷物だろうか?それとも横たわる犬か何か?
「見当たらないな。君、暖房に当たるといい。どうぞ中へ」
ピザはテーブルに置いてくれると助かるよ、と言うので目の前のキッチンへと入った。
小さなテーブルにピザの包みを置くと、奥の居室の様子がすっかりと目に入った。
床に寝そべっているのは敷物でも犬でもない。男の白い裸体だった。
腕と足首にはそれぞれ赤いロープが巻かれ、首輪からは鎖が垂れ下がっていた。口には何か布が丸めて入れられている。
エレンの日常では有り得ない光景だった。
「ちょ、あの……」
犯罪かプレイか判じかねたが、この状況が良くないことは分かった。
ここに居るべきではない。
どう考えても招かれざる客だ、いや客はあちらか。しかし自分が不要な闖入者であろうことは間違いない。早くここを出なければ。
エレンは動揺し、後退った。
すると背中に何かがドンと当たり、すぐにそれが金髪の男であると知れた。
「見えたかい?どうかな」
金髪の男は悠然と笑っている。
しかし、目の奥に何かギラリと光るものがあるように感じた。
ゾッとして、「ど、どうって」と吃りながら訊ねると、金髪の男は全裸の男を手で示しながらまた笑んだ。
「アレだよ。君はヘテロセクシャル?」
エレンはコクコクと首を千切れんばかりに縦に振った。
エレンは同性に性的興奮を抱いた事などない。
むしろそういう連中を嫌悪しているくらいだった。
「そう、それは残念。でもどうかな、アレはわりにそそるんだ。ヘテロの男だって、いつも最後には骨抜きになる」
腹に響くような深い低音で耳にそう囁かれ、恐怖から膝の力が抜ける。
ペタと床に尻をつき、金髪の男の手が全裸の男に伸ばされるのをただ、見ていた。
くったりとしていた肉体を引き上げ、胸に寄りかからせるようにすると、その男が黒髪であることが分かった。
随分と小柄な身体だが、筋肉がわりに付いている。
肌は抜けるように白く、薄暗い中では青白く光って見えた。
捻った腰は細かった。
胸筋から腹筋への女とは違った凹凸、骨盤から下生えまでの脚の付け根の窪み、太股までのなだらかさ。
男であるのに、不思議な稜線が描かれている。
金髪の男が顎を掴み、エレンの方へ向けると、その小さな顔がよく見えた。
口の布を外すと、薄く上向きの唇がぱくぱくと空気を吸った。
綺麗な鼻梁の線、その上には閉じた瞼。
暫くすると、う、と唸る声が聞こえ、どうやら意識が覚醒したようだった。長い睫毛が幾度か震え、瞼が、開く。
潤んだ灰色の瞳が顕われた。
ガタッと音を立ててテーブルの脚へ身体をぶつけたエレンは、それでやっと自分が飛び退いたと分かった。
顔が、熱い。下半身も同じように熱くなっていた。
「そそるだろう」
何処か嬉しげな金髪の男は、ふふ、と笑うと、まだボンヤリした様子の全裸の男の首へ顔を埋めた。
「リヴァイ。ほらまたピザ屋さんが来たよ。好きだろう?ピザ。それとも若い男の子の方が好きかな」
夢現つのような表情の男だったが、エレンの姿を見とめるとハッと目を見開いた。
「も、いやだ、……エルヴィン、ゆるして、」
「駄目だ。」
エルヴィンと呼ばれた金髪の男は首輪の鎖を強く引くと、グッと唸った口にキスをした。
瞬間、貪るように、愛おしむように、しかし蔑むような眼差しでそれは離れた。
「今日する最後のキスだ。私はお前のように潔癖じゃないが、他の男の唾液やらザーメンやらを分けてもらう趣味は無い。」
冷たい語調で言い放たれたそれは心を引き裂くのに十分なものだったようで、リヴァイと呼ばれた男の瞳は絶望に丸く見開かれ、眼の光は消えた。
「君の名前は?ピザ屋のバイト君。ああ、名札が付いているね。私は夜目が利くんだ。エレン・イェーガー君。エレンでいいかな?」
またグッタリとしてしまった黒髪の男の肉体をぞんざいに放ると、ニコニコとこちらに近づいてくる。
異様な男の姿にヒッと喉が鳴り、またも後退る。
男はテーブルの上からヒョイとピザの包みを取ると、箱を開け一つを摘んだ。
場に不釣り合いな、チーズとガーリックの匂いがエレンの鼻を擽った。
「エレン、ピザは好きかな?アンチョビは?」
アンチョビは大嫌いだった。
そもそも、ピザもそんなに好きではない。
エレンの父は医者だったので、安価な宅配ピザなど殆ど家で口にすることはなかった。
ブラウン・ピザをバイト先に選んだのも、大学の友人が数人先にバイトをしていたというだけの理由だった。
まかないで勿論ピザは出るが、油っぽいだけの分厚いピザは一切れでも胸焼けがするほどだ。
金髪の男は鼻歌を歌いながら、うずくまる男の腹を蹴って開かせた。
「食べ飽きてるかも知れないが、ここで君に出会ったのも何かの縁だ。私に奢らせてくれないか?」
ベチャベチャと全裸の男の腹と胸にピザが落ちる。
箱をひっくり返し、すべて載せ終わるとそれは白い皿になった。
「さあエレン。遠慮なくお上がり。食べ残しのないように、スッカリお皿を舐めてしまうんだよ。」
お行儀は気にしなくていい、好きに食べなさい。
男は青い眼を三日月の形に曲げると、手を広げ笑ってそう言った。
エレンはいつの間にかまるで犬のように舌を出し、ハッハッと荒い呼吸で皿を見つめていた。