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口裂け男に要注意




夏休みの登校日。
下校中、横を走って通り抜ける下級生のランドセルがガチャガチャ鳴っておれは、
あ?と聞き返した。じりじり焼けるブロック塀をやせ我慢ののらねこが涼しげに歩いていく。

――口裂け男っていうのがいるらしい。

背が高くて、日傘を差していて、夏だというのにコートを着ていて、サングラスと大きなマスクで顔を隠している。
隠しているのには理由があって、それが、狼みたいに口が裂けているかららしい。

「……何だそりゃ、女の間違いじゃねえのか。」

いつもおれを取り囲んでいる子分たち(勝手に名乗っているだけで、おれにはそのつもりは無い。)が、
怯えたような必死なような顔でそう言うものだから、おれはとりあえずそう返した。

「男らしいんですよう、リヴァイさんっ。やたらに背の高くって、でっかい男の人だって。」

「なんだ、怖いのかペトラ。何ならおれが送って行ってやってもいい。」

「オルオは黙ってて。――とにかく、気をつけてくださいリヴァイさん。もくげきされたの、そっちのほうなんです。」

送って行きます!と言うエルドとグンタに、問題ない、おれを送り終えた後のお前らの帰りが遅くなるのは良くない、とおれは言った。

「お前らの父さん母さんが心配するだろ。」

おれの母さんは入院中だったし、おれには他に兄弟もいない。
心配するならよっぽど、子分たち(と言ってついて回る。同い年だ。)のほうだと思う。

不満気な子分たちに問題ないと言って、ひとり別れた。
四つ角をのらねこがしゃなりしゃなりと歩いていく。



「道を訊きたいんだけど。」

ぼおっとのらねこを追いかけて歩いていて、おれはその男がいつ目の前に立ったのか気づかなかった。
出た。
口裂け男だ。

夏だというのに薄いコートを着ていて、妖怪だかオバケだかも汗をかくのか、額に汗の粒が光っている。
真っ黒で大きな日傘はコウモリの化物みたいだった。

「……道?オバケも道に迷うのか?……あ。」

思わず心の声が外に出た。
暑いのがいけない。
脳みそが茹でられているような暑さだった。
特に今日はこの夏いちばんの最高気温だかを更新したと日誌を返しに行った職員室のテレビがしゃべっていておれは、おれは、と回想を始めたところで、おれは道にしゃがみ込んだ。
回る。
視界というか、世界が回っている。
おれが道に釘付けにされていて、世界がぎゅんと回っていく心持ち。

「え、ちょっとキミ。大丈夫?」

口裂け男が寄ってくる。

「ポマード、ポマード、ポマード……」

口の中でつぶやく。
口裂け男にも有効かは分からないが、口裂け女に対抗する術と言えば『ポマード』だ。
口が裂けてしまった手術を担当していた医者がそれはべったりとポマードをつけていて、
何度もえづいた女に手元が狂った医者が口を大きく裂いてしまった、だから『ポマード』という言葉が怖いのだという話は有名だった。

「え、なに。ほんとに大丈夫?ちょっと、ボク」

口裂け男はおれのポロシャツの第一ボタンを外し、ランドセルを降ろさせて、靴と靴下とを取り去った。
荷物を減らして攫われるか、このまま食べられてしまうのかも知れない。
おれは首を振って、時おり「ぽまーど。」と繰り返したけれど、どうやら一向に効く様子もない。
いつの間にかおれは日陰に連れ込まれていて、そういえばポケットにペトラがねじ込んだベッコウ飴のあったのを思い出した。

「ぽまーど……」

もう殆どうわ言のような声しか出なかったが、おれはベッコウ飴を、口裂け男に差し出した。
ベッコウ飴の包みは透明で、おいしそうな黄金色が透けている。
ふと気づいたけれど口裂け男の髪の色もよく似たベッコウ飴色で、おれは朦朧としながら、これは効くんじゃないかと思った。

「ぽまーど。」

「何、飴くれんの?いいよ礼なんて……ねえ、もしかして口裂け女と思われてる?オレんときもあったよ、その噂。長生きし過ぎてしょ口裂け女。生きてたら口裂けばあちゃんよ、ソレ」

「……あ?」

口裂け男は笑いながら、マスクを外してベッコウ飴を口の中に放り込んだ。
裂けていない、ふつうの口だった。
目元は分からないにしても、むしろ顔はどこかの俳優に似てるような、ちょっとかっこいい顔だったのだ。

「コートが怪しいんだろうな。グラサンもか。や、俺、アレルギーなんだ日光。」

だから夏場はこの格好になるわけ。と男は言った。

「越してきたんだけど、キミ、◯◯ストアって分かる?」

「分かる。」

「いいよ、まだ起きなくて。水飲む?まだ開けてないやつ」

糖分も取ったら?と口裂け男じゃなかった男は言って、ベッコウ飴のフイルムをかさかさ取り去った。

「はい。」

それでおれの口にポンとベッコウ飴を放り込むと、水のペットボトルを差し出した。

「いい。」

「ガキが遠慮しない。飲みなさい」

男はサングラスを取った。

夏休みの空より青くって、この町のどの川より澄んだ青い瞳だった。
ベッコウ飴色の前髪が少し掛かっていて、とてもきれいだと俺は思った。

お昼を告げるサイレンが鳴っている。
それがあんまりにも、人ごとみたいに遠くに聞こえるので、おれはびっくりした。
サイレンは、ウウウウと鳴った。
何かが始まる合図みたいに、それは鳴っていた。















 

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