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泪のあと



気の立っている自覚はあった。

連日の中央での不毛な会議、迫る予算書の締め切り、掻き集めても足らぬ物資。
徹夜につぐ徹夜につぐ徹夜。

黄色い太陽が燦々と輝き、執務室のカーテンに空いた穴から強過ぎる日光が時折ビシビシと射し込む。
それが目に入るたび、頭は痛み、不随意に開閉を繰り返した瞼はそのうちにチックのように痙攣し始めた。

そんな時に限って、期待の新兵であるところの部下のリヴァイが、
「オイ、金髪野郎。てめえ、ペン先を屑箱へ放っただろ、アレは燃えるゴミじゃねえ。回収する箱があるからとこないだ」
とつらつらと説教を始めたものだからつい、つい尖った声で返してしまった。

「それは前に聞いた、リヴァイ、お前の仕事は私の会計事務作業中の一挙手一投足にまで目を光らせて粗を探すことか?違うだろう、大体にお前が提出した書類、これは何だ書いたのは蚯蚓か?蛇か?縄か?大概に慣れた私だから読めるものを添削して返してお前が出す先は庶務課だそもそも私じゃない庶務課のインクで袖口やら眼鏡やらが汚れた事務方の団員がこれを判別できるのか?できると思ってこれを書いているのなら私はお前に眼鏡を作るよう勧めなければいけないし、そうでなくても綴り方の本を贈らねばならない、分かるかリヴァイ、リヴァ、……嘘だろう、リヴァイ」

リヴァイは地下街出身には珍しく読み書きが出来たが、笑ってしまうような悪筆だった。
だからといってそれを笑うのはいけないことだと私も分かっていた。
(徹夜明けで吐き気を催しながらの書類仕事でリヴァイの渾身の作品を眺めていたらより気分が悪くなったのもあった。)

しかといって人の欠点を論い、ネチネチと厭味を言って良い訳ではない。
それは良くなかった。悪かった。素直に謝る。スミス謝る。しかし、しかしだ。

「……泣くほどのことか……?」

リヴァイは私を睨んだまま、ぼろぼろと涙をこぼしている。
執務椅子に座る私を、珍しく見下ろすようにしてリヴァイは私を見ていた。
机に向かってぺらぺらと喋っていたところ、書類に落ちて来た水滴でインクが滲み、顔を上げると、そこには黙ったまま泣いているリヴァイが立っていたのだ。
毎日の訓練にも日に焼けぬ白い頬へ、涙は筋をつくって落ちていく。

「悪かった、リヴァイ、悪かった、まさか泣くとは、若く見えてもお前は成人した男だ、そんな厭味のひとつふたつで泣くとはまさか私も思わなかったんだ、すまない」

予想し得なかった事態に冷静さを失い、うろたえて私は席を立った。
つられたように私を見上げたリヴァイの瞳はたっぷりと水を湛えており、ゆらゆらと揺れているように見えた。

「……ッふ」

顎を上げた拍子に、涙が散る。
灰の色だと思っていた瞳は、真冬の硝子の色、湖に張った氷の色のようだと思った。
噛み締めた唇は白んでいて、とても小さい。
目元は赤らんでおり、私は幼い頃に飼っていた、白うさぎを思い出した。
記憶にそのまるく、やわらかい姿が浮かんだ瞬間、私は彼を抱き締めていた。
胸にすっぽりと納まったその身体は白うさぎと違うかたい感触だったが、同じようにちいさく、温かかった。

「すまなかった、リヴァ……」

「……ッカ野郎、ちがう、落ち着け」

ぐい、と押しのけられ、身体を離される。
変わらずリヴァイの目からは、涙が流れ続けている。

「てめえに叱られたのが悲しくって泣いてるんじゃねえ、勘違いするな。……体質だ。月に一度、こうなる。クソ」
今月はまだだと思ってたんだが。生活が変わって、それで体がおかしいのか?と、リヴァイはまるで女性の月のものの時のようなことをぶつぶつと呟いている。

ブレードだこの増えた掌で顔を乱暴に拭い、もう一度、クソ、と吐き捨てて私を睨んだ。

「いいか、誰にも言うな。金髪やろ……笑うな、エルヴィン!」

「……いや、悪かった、つい。しかし本当なのか?」

珍しく名前を呼ばれた事に気が付き、しげしげとリヴァイを見る。
リヴァイは尽きぬ涙に舌打ちすると、ハンカチを出して目を覆っている。

「……本当だ。まあ、こうやって泣……水っぽくなるだけだ。ただ、量がハンパねえ。波があるが、酷い時はもっと酷い。熱も一緒に出るのは困るがな」

リヴァイはじろ、と私を改めて睨み付け、地下街では役に立っただろう、一段と低まった声で私を脅した。

「いいか、エルヴィン・スミス。絶対に人に言うんじゃねえ。絶対にだ。言ったら……殺……いや殴……つねる。いいな」

くるりと踵を返し、リヴァイが颯爽と去っていった後、私は努力して固めていた表情を和らげた。
いや、堪えていた笑みをこぼした。

――つねるだって?水っぽい日?……本当に、真赤な瞳の白うさぎのようだった!

「……ああ、彼はいいな。いい」

リヴァイには申し訳なかったが、腹がよじれるまで笑いきるまで小一時間、私は書類に向き直ることも出来なかった。
笑いが納まりやっと執務机についた私は、書類に彼の痕跡を見つけ、もう一度、ほんの少しだけ、笑った。

 

手書き
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